小石川と武蔵野には同じ響きがある。
デザイン小石川 編。

日々、意味>新 2016.08.10 加藤 孝司

小石川は東京の東部の山の手に位置し、山と谷とが連続する小石川台地と白山台地という起伏のある一帯をなしている。その南には現在東京ドームや後楽園遊園地のある小石川後楽園、江戸川橋や早稲田の地にそって神田川が流れる。
また小石川の地名のひとつの由来ともいわれる、かつてはここには小石や砂の多い小石川が流れていた。
もちろん、小石川も東京の東側の他の地域の例に漏れることなく、台地の谷にあたるあたりは、江戸時代以降の度重なる開発によって川や湿地が埋め立てられてつくられた土地である。有名な小石川植物園には今も水が沸き出す池があるそうだが、それはかつてのこの地が川が流れる土地であったことをしのばせる。またあたりには多くの寺があることでも知られている。

そんな江戸風情のある風光明媚な佇まいを残す小石川は、今も落ち着きを感じさせる都心の生活の場として、坂道と平地と崖地とのあいだに閑静な住宅地を形成している。本郷と小石川を区切るように背骨のように大きく横たわる白山通りをはさみ、都市的な機能をもった商店と昔ながらの町並みが混在する。そしてそこで暮らす人々の生活には、そんな歴史あるこの土地の成り立ちを反映するように、大衆文化が華ひらきつつ他の場所とは少しことなる山の手の上品さも兼ね備えている。

そんな小石川風情に通じる武蔵野という場所がある。武蔵野は国木田独歩の名作「武蔵野」(明治31年・1898年)を持ち出すまでもなく、野原や雑木林が広がり、小川が流れる牧歌的で詩的な風情で多くの文人や芸術家を魅了してきた「よき郊外」のイメージをもった場所である。これを書いた当時、今の渋谷、まだ開発のされていないのどかな渋谷村で暮らしていた独歩は、渋谷も含む武蔵野という郊外への散策を趣味としていたという。
そんな独歩の影響からか「武蔵野趣味」という言葉もあったそうで、武蔵野は東京に暮らす人にとってある種のユートピアでもあったのかもしれない。また「武蔵の野」として古くは万葉集にその名をみることができるというから、その歴史はさらに古い。そして小石川あたりは、東京を中心に東西に大きく横たわる武蔵野台地の東端部に位置しているのだから、武蔵野と小石川は土地の上でもひとつの地続きであることはいうまでもない。

小石川と武蔵野が共通するのが、それが特定のエリアだけではなく、それを含む大きな一帯を形成していて、田園的で牧歌的、情緒をくすぐる独自のイメージを形作っていることにもあるように思う。小石川には僕の好きな小石川植物園もある。また、共同印刷のモダンな建物が今も残るが、関東大震災以降に下町から移転してきたという印刷工場が多いのもこのエリアの特徴の一つである。

小石川がある東京文京区は、もとは小石川区と本郷区の二つの区が合併して明治11年にできたもの。
そこには近代国家建設を目指していたこの時代、教育に力を入れていた政府の肝入りで多くの教育施設が多く建設された。また文人も居を構え、森鴎外、夏目漱石、樋口一葉などがこの地に暮らし、生活の中で後世に残る名作の数々を生み出していった。