つねに問いを持ち考えること。
野矢茂樹「はじめて考えるときのように」

日々、意味>新 2018.01.08 加藤 孝司

考えることってなにをすることなのだろう?かなり前に読んだ哲学者の野矢茂樹のファンタジックな体裁をした著書「はじめて考えるときのように」を読みかえしながら思ったのは、タイトルから連想されるように「考えるってなんだろうという?」ということ。

考えることとは、頭のなかやイメージのなかにある漠然としたものと思いがちだ。でも、いま僕は考えると書いておきながら、頭のなかで考えながら手を動かしてこれを書いている。それって純粋に100%「考える」ことになるのだろうか?

この本のなかで意外な使われかたをしていて印象に残った言葉がある。それは、考えていることは「チューニング」をすることだということ。当時、確かにそれはおもしろい考え方だと思った。
チューニングという、馴染みがあるようで、あまり馴染みのない言葉が、考えることを考える本のなかに出てきたことに意外性があった。
お気に入りのラジオ番組にチューニングを合わせる。ギターの弦をチューニングするなど。昔やっていた馴染み深いギターのチューニングを例に書くと、ギターを弾くにはまずチューニングを合わせる必要がある。チューニングのための基本になる音階は、音叉という道具を使って鳴らし、その音にギターの5弦5フレットのハーモニクスを共鳴させて「チューニング」する。
しかし、それをするには音叉がギターの5弦の5フレットのハーモニクスと共振することを知っていなければはじまらない。
それは3弦の5フレットのハーモニクスや、5弦の7フレットのハーモニクスではだめだ。それが何を意味しているかというと、ある答えを見つけだすためには、そのための適切な問いをもたなければならない。ただ漠然と問題意識を持たずに「考えるために考え」ていたのでは、おそらく何も答えは見つかりはしないということ。

考えるためには当然ながら考えるための問いが必要だ。だが、ある種のトリックのように、答えをあらかじめ知っている必要はない。
2018年という新しい年が始まった。今年もつねに「問い」を持てるように、「刺激」に「鋭敏」でいれるように答えを導く体勢を整えていたいと思う。

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