絵を描くという運動

日々、意味>新 2018.06.06 水島 七恵

foodremediesの長田佳子さんとイラストレーターの塩川いづみさんとのプロジェクト「腑」(はらわた)の初めての試みを北海道・洞爺で無事終えて、東京での日常が戻ってきました。とはいえ、身体半分、洞爺の成分で構成されているのではないかというほど、東京時間に身体が定着しないまま、日常が過ぎてゆきます。

 

つい先日のこと、場所は銀座にて。次の打ち合わせまで時間があったので、近くのDover Street Marketでものぞいてみようかなと思って歩き出した、にもかかわらず、気づいたら月光荘に足を踏み入れていました。月光荘とは、大正6年に創業した老舗画材店です。私の仕事用ノートは全てこちらは月光荘のオリジナルノート。紙質もサイズもバリエーション豊富で、この月光荘のノートがないと気分が上がらないほど、もはや私にとっては必需品です。


とはいえ、ノートは今はたくさん予備があるので、補充の必要はなし。なのになぜ月光荘へ?と自分で自分の行動に驚きつつ、さらに予期せず私が手にしたものは、水彩画材セットでした。

 

小さい頃、絵を描くことが大好きでした。でもそれもかなり昔の話です。今はときどき仕事で紙面の構成ラフを描く際に、絵とは言えない絵を描く程度。それ以外に絵を描くこともなければ、画材道具の知識も一切ありません。そんな私がなぜ水彩画材セットを….?その答えはうっすらと見えていました。
この合理的で便利な社会の中では、ともすると何事も実感を伴わなくても、暮らしていけてしまいます。そういう時代の中では、予測つかないことも含めて自分で実験してみること、身体で感じること、そしてそれを楽しむことがどんどん省かれていきます。まさに私自身も知らず知らず省いていく暮らしをしているなかで、本能がそれに危機感を感じたのか、「絵を描く」という運動が今の自分には必要なものだと、本能が訴えかけてきたような気がしたのです。それが料理を作る、運動する、なんでもいいのです。でも私には「絵」だったということ。

ということで、私は水彩画材セットをその場で購入して、ずっしりと重くなったリュックを担いで、次の打ち合わせに向かったのでした。

ちなみにその本能が揺さぶれた大きなきっかけは、「腑」にあります。この「腑」についてはまた改めて、記事にできればと思っています。

水島 七恵
水島 七恵
編集者。新潟生まれ。人の営みから生まれる文化全般を思考領域としながら、企画とディレクション、執筆を行う。現在、雑誌「リンネル」(毎月20日発売)にて、新作シネマレビューを担当中。この仕事につく原点は、音楽。最近目覚めたことは、筋トレ。私にとって編集とは、世界の見かたを増やす手段だと思っています。主な仕事については、下記HPまたはinstagram(@nanae0712)でときどきお知らせしています。

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