ぼくがいま使っているカメラ、ライカM10

日々、意味>新 2018.06.18 加藤 孝司

最近使っているカメラは昨年の春ころに購入したライカのM10というドイツ製のデジタルカメラ。仕事で出かけるときにも、ちょっと街に出るときにも持ち歩き、仕事で写真撮影するときも、これ一台ですましている。僕にとってカメラは記録をする道具であり、体のいくつかの機能の延長のようなもの。それはものをみるときの眼であり、なにかに触れたいと思った時の手であり、記憶していたいと思ったときの頭脳でもある。デジタル機器は日進月歩。このカメラもデジタルカメラであるから、いつかは陳腐化すると思いながらも、毎日持ち歩いて楽しんでいる。

現在所有しているM型カメラは3台。フィルムカメラのライカMP6、デジタルカメラのライカM8.2だ。そのどれもがつくられた年代が違っているが、見た目はほぼ一緒。フィルムのMP6が2000年ころ、デジタルのM8.2が10年ほど前、そしてM10が昨年発売になった。フィルムはさておき、デジタルのカメラが10年使え、しかも古くも新しくならないのは、通常のデジタル機器や家電ではあまりないことだ。実際、M10とM8.2を比べると、液晶のサイズや画素数、バッテリーの大きさなど機械的な部分には大きな進化や変化がある。だが、見た目はほぼ一緒。ボディにつかっている素材も真鍮が中心と、これも10年の時を経て同じだ。これは約60年前に登場したライカM型カメラの初代期であるライカM3と比べても、ほぼ変わりがない。

変わらないことがいいことかどうかは置いておいて、美的に完成されているものであれば、無理して変わる必要がないのはいうまでもない。僕にとってライカMはまさにそのようなもので、同じようなものには、ロードバイクやトライアンフのオートバイTシリーズ、そしてイームズの椅子やルイスポールセンの照明など、身の回りを見回してもいくつかある。

このライカM10も、どんな人がみてもThe カメラというべきもので、大人がみても子供がみてもカメラだねとすぐに分かる。あまりかわいくない値段はさておき、どこか見た目もかわいい。でも、それをどう使うか次第で、値段とはどうにでもなるものだ。100円のコップを買って一度も使わなければ無駄なものだし、100万のカメラも1万回使えば同じような意味では元がとれる。モノとはそもそも、それといかに付き合うかが大事で、値段や価値は、そのあとについてくるものだとぼくは思っている。そんな言い訳をしながら、背伸びしてする買い物はいくつになっても楽しいものだ。

加藤 孝司
加藤 孝司
加藤孝司/かとう たかし
デザインジャーナリスト。東京は浅草生まれ。デザイン、クラフト、アートなどを横断的に探求、執筆。雑誌やウェブなどへの寄稿をはじめ、2005年よりはじめたweblog『FORM_story of design』では、デザイン、建築、映画や哲学など、独自の視点から幅広く論考中。休日は愛猫ジャスパーと過ごすことを楽しみとしている。

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