道具のマリアージュ

日々、意味>新 2018.09.15 橋本 司

道具のおもしろさのひとつに「それぞれブランドや用途も別なのに組み合わせた時にサイズや相性がピタリとくる」というのがあってですね、言わばマリアージュです。「もしかしてこれって……」と思いついた組み合わせがマリアージュだったとき、まぁ気持ちいいんです。

 

昨日お茶を淹れてたら視界の隅にあった新しいコップが気になって、茶こしを置いてみるとこれが見事にピッタリ!取手がついてなかったら、本来の用途を無視して茶こし置き専用にしてもいいくらいジャストでした。質感的な相性もバッチリ。この茶こしには置くためのボウルなどは付いてませんでしたけど、こういうマリアージュは時としてオリジナルのセットを超えてるんじゃないかと感じることがあります。そういう時「本来の用途」ってなんなんだろうと考えてしまいます。

 

ものによっては説明書に「本来の用途以外には使用しないでください」とあって、それはそれでもちろん正しい。壊れたら大変ですから。ただ、作者の意図と違った評価がされるなんてことは映画や音楽では茶飯事のことで、道具においてもamazonのレビューを見ていると違った本来と違った用途でのみ(と言ってもいいくらい偏って)評価されているものもあったりします。

 

フリーハンドでまっすぐ線を引ければ定規はいらないし、きれいな円が描ければコンパスはいらない。「まっすぐな線」や「まん丸な円」を得るための道具が線引きやコンパスなわけで、大事なのはその「結果」を得られるかどうかです。得られなかったり精度が低いとそれは良くない道具とされ、より簡単に・高精度で得られたりすると良い道具とされる。その上で、道具そのものがかっこよかったりかわいかったら最高!となるわけですよね。

 

そう思うと、茶こしが気持ちよく置ければそれがコップだろうがボウルだろうが灰皿だろうが、本人がよければそれでいいじゃないかという気がします。「より良くしたい」という向上心・探究心と、その「結果」を得るために、既存のカテゴライズなどに囚われず、柔軟な頭でいろんなものに目を向けられるようになれば、いろんなものの可能性に気付けて楽しくなるんじゃないかなと思うので、そうなるように心がけてはいるつもりなんですけど、クイズやなぞなぞがぜんぜん解けない時に自分にがっかりします。とほほ。