手塚治虫はやっぱり怖い

日々、意味>新 2018.10.16 水島 七恵

幼い頃、喘息やアトピー性皮膚炎などで病気がちだった私は、自分の心を解放する場のひとつとして、漫画は欠かせない存在でした。

気に入った漫画は擦り切れるまで何度も読むタイプ。所有している漫画の数はさほど多くはないけれど、そのぶん、一冊、一冊との思い出は濃密です。そんな私と漫画の関係において、ちょっと異質なのが、手塚治虫による「火の鳥」です。というのも、いつ、どこで手にしたのか。自分で買ったのか、両親に買ってもらったのかも全く覚えていないからです。こうして思い出がすっぽりと抜けている手塚治虫の漫画ですが、ひとつだけ強烈に身体に刻まれていることがあります。それは小さな子供だった私が、人間の生と性の生々しさや怖さ、滑稽さを初めて肌で感じ取った漫画が、「火の鳥」だったということ。

とくに「宇宙編」は今もトラウマになるほどです。愛する男性のそばにいたいと、自ら望んで植物にメタモルフォーゼ(変身)した女性の姿は、、、とても残酷で、、でも見事で、、今も胸が苦しくなります。そう、いつだって手塚漫画は、善と悪をはっきり分けた上で、「これが正解です」を、漫画の中では提示してくれない。読み手を楽にさせてはくれないのです。ゆえに自分で考えるということを、突きつけられるのです。そして「火の鳥」のこの装丁、すごい強度です。。

 

果たして私は自分で考えることをおろそかにしていないか?
どきどきしながらトラウマがまだ薄い、「黎明編」から読み直してみたいと思います。

 

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