カンデム社のデスクランプ

日々、意味>新 2019.05.17 加藤 孝司

今回はかつて偏愛的に蒐集していたデスクランプをご紹介します。

そのランプとは1920年代のドイツ バウハウスに起源をもつもので、ケルティング&マティーゼン社(カンデム社)のデスクランプである。

バウハウスとケルティング&マティーゼン社の共同により、1928年頃に製造が開始されたこのデスクランプは、当時バウハウスの金属工房の主任をつとめていたマリアンネ・ブラントと、金属工房の学生だったヒン・ブレーデンディークがデザインしたもの。それらは主にバウハウスが標榜した建築に、当のバウハウスにより実現されつつあった「実験住宅」のための造形課題や、1926年にデッサウに移転したバウハウスの校長ウォルター・グロピウスの設計による新校舎のインテリアに用いることを目的に開発された照明器具等の経験が生かされている。金属工房自体がバウハウスの工業化の一翼を担っていくようになる。

二人がデザインしたカンデムのランプは、初期のバウハウスの手工業的な手法から、工業との連携によるバウハウスというデザイン学校と自国の企業とが共同で開発し大量生産された、デザインと工業の融合が実現したランプとして記憶され、商業的にも成功を収めた。

マリアンネ・ブラントは1893年、ドイツの近代化の象徴ともいわれ、バウハウス期には近代建築も多く建てられたケムニッツ生まれ。1923年から1929年まで学生としてバウハウスに在籍。同時にデッサウ移転に際して離脱したヴィルヘルム・ヴァーゲンフェルド、金属工房の主任でのちにカイザーアイデル社と有名なデスクランプを開発したクリスチャン・デルらヴァイマールのバウハウス時代の金属工房の名手たち不在後の、1927年からは金属工房の助手となり、1928年から2年間、金属工房の主任も努めた。照明のほかに金属製のポットや灰皿、前衛的で独創的なコラージュ写真作品も多く手がけたことでも知られている。

このデスクランプはその後10数年製造され、形も異なるものが複数存在する。それらは現在では「世代=ジェネレーション」として区別され、世界中にコレクターが存在する。

僕も20年ほど前に熱心に集めており、世代別に10器ほど所有していた時期がある。今は写真に写っているものと、ガラスベースのタイプの2種類を保有しており、眺めていても飽きることがない。素材には鉄、ガラス、モダンなベークライトが用いられた。

使いたい場所に簡単に移動できる身軽さ、デスクの上に置いても邪魔にならないコンパクトな台座、光を照らしたい場所にシェードを簡単に移動できる可動式のアーム、同じように自由な角度に可変できるように設計されたシェードの接合部、パイプ製造の技術を応用したであろうアームの中に配線を通す仕様等、随所に当時としては画期的な機構が採用された無駄のないデザインで、今でも日用品としての十分な機能と照明としての役割を果たしてくれる。

マリアンネ・ブラントとヒン・ブレーデンディークが90年以上前に手がけたデスクランプのデザインは、その後、さまざまなデスクランプの原型となり、今に至っている。