082019

Special #37

彼らの世代のデザインについて西尾健史氏インタビュー

Text & Photography 加藤 孝司

最近だと「TOKYO ART BOOK FAIR 2019」の会場構成や、ショップのインテリアや什器のデザインで注目されるデザイナー西尾健史さん。彼のデザインを知ったのは、ファッションや雑貨などの仕事に携わる友人たちから彼の活躍や仕事について耳にするようになった5年ほど前。最近では福岡大川を拠点にするオフィス家具ブランドFIELでの家具のデザインや、この秋には70cmプロジェクトでの新作も控える。そんな彼に、デザインへの向き合い方や、これからの仕事についてじっくりと話を聞くことができた。

カルチャーから建築、デザインの道へ

まずはデザインを志すようになってきっかけを教えてください。

バウハウスが好きだったのと、90年代末にカーサブルータスが創刊された当時によく見ていて、それで建築をやりたいと漠然と思ったのが最初のきっかです。

それは西尾くんが大学時代ですか?

はい。大学の建築学科に在籍していた頃です。バウハウスが「すべての造形活動の最終目標は建築である」と言っていて、高校は理系だったのですが、大学では学問を学べ、かつ芸術に近いものということで、山口大学の建築学部に進みました。

学生の頃からアートが好きだったのですね。

そうです。アートとカルチャーが好きで、マガジンハウスの雑誌「リラックス」ばかりみていました。KAWSなどのグラフィティ・アートや、アンダーカバーがデザインする洋服、当時から人気があったグルーヴィジョンズなどに憧れていました。

あと、マイク・ミルズやホンマタカシ、デルタとか。

そうです。バンドも好きで、芸術に近い仕事に関われればと思って建築を選びました。

それから東京に出てきたのですか?

はい。大学では建築の意匠デザインよりは、コミュニティや土着性に近いことをやっていて、より広くデザインがしたいと思って東京の桑沢デザイン研究所に進みました。それと大学が山口県宇部市にあったのですが、近くに建築家の石上純也さんがはじめてつくったレストランがあって、そこに通っているうちにレストランのオーナーに石上さんを紹介していただき、東京に来たばかりの頃は、昼間は石上さんの事務所のインターン、夜間で桑沢に通いました。1年半くらい石上さんのところでインターンをしてその後、assistant(松原慈+有山宙)という建築ユニットのインターンも経験しました。

ゼロ年代後半ですよね。

そうですね。ちょうど彼らが2007年の「デザインタイドトーキョー」で大きな空間を手がけたことや、東京のデザインって面白いと思ったのも東京に出てきたきっかけのひとつです。インテリアの世界を詳しくないながらに、いろいろとみて、同時にプロダクトやグラフィック、デザイン自体に興味を持っていた学生でした。

独立して最初の仕事はなんですか?

何が最初かは曖昧なのですが、きちんとやった最初の仕事は、山田遊さんのmethodで行なわれた、友人が企画した、新聞紙だけを集めた展示会「Only News Paper」の会場構成です。その時はじめて什器のデザインだけで空間が成り立つように、考えて設計をしました。


「暮らしをつくる」ということ

建築からスタートした西尾さんですが、バウハウスではありませんが、空間、家具、インテリア、プロダクトと仕事の領域は広いですよね。

インターンを経験した頃から、普通の人が良いと思う空間ってどんなものだったか分からなくなって(笑)。それで普通の「いい」という感覚が知りたくて、新築建売のデザイナーズハウスをつくっているようなハウスメーカーに就職して4年働きました。そこで感じたのは建物をつくるのと暮らしをつくるのは違うということでした。新築ばかりをつくっていたのですが、家を建てなくても暮らしをつくることができるんじゃないかと思って、だったら自分なりのバランスでやるしかないと思って独立しました。

まず箱ありきというところに疑問を感じたということですね。

良い間取りといい暮らしはイコールではないということです。東日本大震災も大きな契機になりました。震災があって困っている人がいて、一般的にデザイナーや建築家は指示書としての図面を書くことしかできない。でもあの時感じたのは苦しんでいる人たちに直接なにかお手伝いができないかということでした。距離感がもどかしく感じていました。

そこで西尾さんは設計者として人の暮らしにどのように関わろうとしたのですか?

今も松戸と東京のニ拠点で活動しているのですが、震災のあと松戸で「mad city」という活動に関わりました。その時は自分で手を動かしてプロジェクトに参加したりしていて、「石巻工房」など、まわりもそんな雰囲気があるなかで、よりDIYに近いようなことをやりはじめました。

それはリアリティの問題だと思うのですが、DIYや自ら手を動かしてつくることのどんなところに西尾さんはリアリティを感じたのでしょうか?

住まい手やユーザーに、デザインや製作のプロセスの中に入ってもらえるところにリアリティを感じました。

「S-hanger」COPACK(2018年)

S字フックを合わせた形で、洋服と同時にバッグやハンガーなどを掛けることができるハンガー。COPACKのエキシビションで発表され近日製品化される予定。


ニーズを聞いて、設計してカタチにして、さあどうぞというプロセスではなく、そこでの人の暮らしに介入しながらつくるということでしょうか。

そうですね。人には好きなものがあって、洋服と同じように自分の理想にフィットする暮らしって人それぞれ違うと思うんです。空間や家具もそうで、そこに少し介入することで、その人の暮らしに寄り添いながら、既成品や、それまであったものとは違うかたちにすることができると思ったんです。

当時はDIYで家具のワークショップをやっていて、そこではオーダーメイドと単なるDIYとも違うあり方ができれば、プロダクトと暮らしのあいだのような提案ができると手応えを感じました。

ただコミュニティに関わりながら、コミュニティの中でやることには限界も感じていて、エンツオ・マーリのDIYの本に出合ったりして、よりデザイン的にカタチにすることができないかと思いはじめました。それとものの値段についても、DIYでつくると安くできるのですが、本当にそれでよいのか疑問を感じはじめました。というのもみんなが自分でつくるだけなら職人さんもいらなくなってしまいます。とはいえそんなことにはならないのですが、だからDIYのワークショップをやっていた理由も、自分でつくってみることで、世の中にあるものの適正な値段や職人さんの技術などをわかってもらえればと思ってやっていました。

実際自分でつくることで、プロの仕事の大切さや厳しさ、きちんとした製品をつくるのは大変だということに気づくということですよね。

そうです。そういうこともなんとなく思っていました。物理的にDIYのワークショップだと100人の内の10人くらいしか関われませんが、昨年から携わっている「FIEL」や「70cm」もそうですが、50人くらいの人に何か新しいもののつくり方や考え方、DIY的なことを伝える方法はないのかと思って、自分の手を離れても残るプロダクトをやりたいと思うようになりました。それも「家具」というよりも道具に近い「什器」をやりたいと思っていました。

 

什器という考え方も西尾さんらしいですよね。それで会場構成やそのための家具やインテリアのデザインなんですね。でもなぜ什器だったのですか?

よりストーリーを伝えられるからです。マテリアルの選び方もそうですし、その展示会などの趣旨に沿って考える縁の下の力持ち的なあり方ではありませんが、条件を上手く読みとくことでより面白いことができると思ったからです。

「CRAZY KIOSK(クレイジーキオスク)」(PLACE)by method(2015年)

駅のホームや構内にあるキオスクのような対面型のショップデザイン。バイヤーサトウユカさんが仕入れたものを売るテンポラリーなショップとして2015年7月、渋谷の(PLACE)by methodで行なわれた。

 

 


使う人のためにデザインをする

具体的な仕事で大きな転機となったものはありますか?

木を使わずに紙箱を積み重ねて構造体をつくった企画展「CRAZY KIOSK(クレイジーキオスク)」(2015年)や、瀬戸内国際芸術祭で小豆島のプロジェクトに同世代のグラフィックディレクター飯田将平くんと参加したことでしょうか。あのときはアーティストや写真家、グラフィックデザイナーやプロダクトデザイナー、建築家、演劇などクリエイティブなことをそれぞれのジャンル関係なく、同じ条件でそれぞれがアウトプットしていったプロジェクトで、自分自身暇だったので(笑)どっぷりはまって、色んな面ですごく刺激を受けました。

 

暇だからできること、そしてめいいっぱいやりきることって、誰でもできるわけじゃないし、どんなタイミングでもできるようでできないことで、それってとても需要だと思います。その時の体験は西尾さんいとって大きかったのですね。

めちゃめちゃ大きかったですね。なんのためにデザインをしているのか少しわかった気がしましたし、勉強になりました。

具体的になのためにデザインをしていると気づいたのですか?

人のためのデザインです。使ってくれている人あってのデザインだと思いました。

 

メーカーとの仕事はどのようにするようになったのですか?

まわりの人のご縁です。そこで必要な考えは、基本は什器の考えに近いと思っています。ブランドが考える固有のコンセプトがあってはじめて成り立つような、ほかのメーカーではだせないもので、今までにないものをつくらなければいけないという思いが強いです。

世の中にないモノとは?

モノでなくてもいいのですが、単純に色が違うだけというよりは、カタチというか新しいルールや新しい行為が生まれるものをつくりたいと思っています。

「TAKESHI」FIEL(2018年)

「BUMP」FIEL(2019年)

それがあることで空間が華やかになったり、自由になるようなもののあり方を考えることで生まれたサイドテーブル。オブジェのようなオフィスのペットのような、スツールやマガジンラックにもなる家具。

そういった意味では西尾さんがオフィス家具ブランドFIELで手がけた「TAKESHI」や新作「BUMP」も世の中になかったものに当てはまりそうですよね。オフィスという空間での新しいふるまいや行為、空間の意味を拡張していくような、みたこともない風景を家具がつくりだしている。

ありがとうございます。メーカーのデスク脚というオーダーのもとTAKESHIをつくっているときは天板をまたいで置けるものがあって、テーブルが並んだオフィスの風景をより綺麗につくりたいと思っていました。まず風景を考えて、それからカタチができていってと逆の発想で、そうするとDIY的な面白さも生まれてきて、働く空間や時間としてのストーリーも豊かになると思いました。プロダクトと道具のあいだのような、それ単体で役に立つというよりも何かが足されてはじめて成り立つものだと思っています。


西尾さんがデザインのアイデアが浮かぶのはどんな時ですか?

散歩したり写真集をみていたり、そんな些細な風景から思い浮かぶことが多いです。今あるものをこう置き換えたらまったく新しいものになるなとか、日常の中の変な違和感とかそういうものを見つけたときにメモしたりスケッチしたり、そこから膨らませることがあります。それもいずれ変わることがあると思いますが、今はそのような感じでやっています。

 

「70cmの景色」(2019年末以降発表予定)というコンセプトのもと、近日発表予定の西尾さんの最新作。
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「KODAI」70KESIKI マークスインターナショナル(2019)

床座の生活を考える上で生まれた通常器の底についている高台をプロダクト化。手持ちのプレートやマグカップなど置くことで、床や畳の上の直接モノを置くことの抵抗感を解消し、日本人ならではの床座の暮らしにおけるモノの新しい置き場を提案している。

「時を活ける」70KESIKI マークスインターナショナル(2019)

和室のいけばなを発端に、植物の枝ぶりを時間に見立てる時計のようなオブジェクト。時を刻まなくなった植物が、空間のなかで逆に時を意識させるオブジェクト。近日発表予定の西尾さんの最新作。

決める方法を決めてしまうことも、発想の自由を制限してしまうこともありますよね。

それはあると思います。今も10代の頃と変らずカルチャーが好きなので、若いバンドに影響を受けることもありますし、デザインや設計だけでなく、新しい映画やファッションに触れたいと思っています。仕事をさせていただくようになっても仕事をこなすのではなく、潜在的に求められているものをカタチにすることもそうですが、最初の衝動を忘れないようにしたいといつも思っています。それと最近考えているのは世代についてです。僕もこれまでいろんな人たちの活動に影響を受けてきましたので、僕だけでなく同じ世代がどのようにアクションして、どんなデザインをするのかを少し意識して考えています。まだそれが何かわからないのですが、今年の年末には個展を予定していますので、何かしらお見せできたらと思います。

 

西尾健史  にしお・たけし

西尾健史  にしお・たけし
1983年長崎県生まれ。山口の大学で建築を学んだ後上京、桑沢デザイン研究所に進む。卒業後、設計事務所を経て自身の設計事務所「DAYS.」として独立。空間をベースに什器、家具、インテリアのデザインを手がける。

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