かつて汐入という街が

日々、意味>新 2019.03.15 加藤 孝司

木造平屋建ての民家、学校、公園、プール、造船所、食堂、自転車屋、銭湯、バイク屋、文房具店。かつて荒川区の隅田川が大きく迂回する半島の、その突端あたりに汐入という街があった。正確には今も汐入という街はあるのだけれど、僕が知っている汐入という街は2000年の頃に姿を消している。今は街区にも街並みにも、木々たちにもその面影はひとつもない。
江戸時代にお屋敷街として栄え、明治期以降には工場街として賑わった。僕が浅草から自転車で遠征し、ここにあった広場で野球をして駆けずり回ったころは、その工場が立ち退いた後の広大な空き地のある街が汐入だった。区営のプールがあり、都営バスの終点があった。買い物籠をもったおばちゃん達が行き交い、ランドセルを背負った子供たちが嬌声を上げて走り去っていく路地があった。
バブル期の訪れ、再開発の波とともに、家々は取り壊され立ち退き、街からは人々の姿も消えていった。
防災拠点づくりの再開発事業として、往時の面影を消し去られた街。
そのあとに出来たのはマンション群、広々とした遊歩道。緑の豊かな公園、テニスコート。川に向かってゆるやかにつながる水辺のテラスには桜並木も広がる。残ったものはといえば、唯一その街の鎮守の森であった胡録神社のおやしろ。
最近、「思い出の汐入」というかつての汐入を記した本に出合ってから、ああそんな街があったなあと思い出しこのテキストを書いている。
今では僕が知っている汐入と比べれば、街の住人の数も数十倍になり賑わっているようにみえる。でも、当然ながら失われた街並みや時間はもう戻っては来ない。どちらが良かったのかと問われれば、どちらが良かったとも言いにくい。だが、記憶の中の街は忘却にさらされながらいつだってその情景を知っている者の前には輝いてみえることは間違いがないのだ。

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