砂澤ビッキ、野生とエロス

日々、意味>新 2017.06.21 水島 七恵

北海道には弥生時代が存在しない。

この事実は本州(新潟)で生まれ育った私にはかなりの衝撃でした。

旧石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代→飛鳥時代・・・(続く)。例えば学生の頃に歴史の授業で学ぶ日本の歴史とはこうだった。振り返ってみると、それは画一的な歴史だった。ところが北海道は、旧石器時代→縄文時代→「続縄文時代」→「擦文時代」と続き、そこからアイヌ文化の時代へ移っていく。故に北海道は本州とは違う独自の文化が今も根付いていて、アイヌの血を受け継ぐ人々は、現在も北海道やロシアに居住している。
この事実は、私がここ数年通っている北海道・根室市と向き合う上でも、一つの土台になっていた。

 

写真は「木魂(こだま)を彫る ー砂澤ビッキ展」図録から抜粋

 

砂澤ビッキ。アイヌの血を持つ両親のもと、北海道旭川市で生まれた日本の彫刻家だ。根室を、それは北海道を知っていく過程でその名を知った私は、本州の公立美術館では初の個展(「木魂(こだま)を彫る ー砂澤ビッキ展」2017年4月8日〜6月18日)を開催するということで、神奈川県立近代美術館 葉山まで急いだ。

展示は、凄まじかった。砂澤ビッキ氏を介すると、野生とエロスは同義語ではないかと思った。最初の展示室、ナラの大木を彫った2メートルを越す高さの「神の舌」で心射抜かれ、もうひとつの大作、アカエゾマツとカツラで彫られた「風に聴く」で自分の肚の底が唸り、さらにビッキの素描、裸婦デッサンで自分が素っ裸にされたように気持ちになり、心は常にざわざわとしていた。そこに見えているもの(彫刻)だけが全てではなくて、彫刻を媒介にして、見えないものと交信したような感覚があった。

 

 

人が手を加えない状態つまり自然のままの樹木を素材とする。したがってそれは生き物である。生きているものが衰退し、崩壊していくのは至極当然である。それを更に再構築していく。自然はここに立つ作品に風雪という名の鑿を加えていくはずである。

 

生前に語ったビッキ氏の言葉に出合えてよかった。