まん丸になれない

日々、意味>新 2018.05.23 水島 七恵

音楽がすべてと言っても過言ではない日々を過ごしていた10代。過剰になる自意識に翻弄されながら、毎日、大好きなロックバンドを追いかける日々でした。当時は今のようにインターネットが発達していない頃で、ゆえに情報源といえば、雑誌、ラジオ、テレビが主力。彼らの音楽はもちろんのこと、彼らの一語一句を片時も見逃したくなくて、雑誌の投稿欄を使っては全国各地のファンと繋がり、そのファンからローカル番組に出演した彼らの映像をダビングして送ってもらったり、また私からも送ったりしながら情報交換をしていました。

 

本屋にも毎日足を運んでは彼らの記事を見つけ、心ときめかせながら何時間も熟読。その後、お気に入りの記事を自宅でファイリングしては眺めていました。今でこそ情報は簡単に手に入りますが、当時はその情報にたどり着くまでにも一苦労。でもその苦労の過程にこそ価値があり、楽しみでもあったのです。そしてそんな日々の延長線上に、私の今があります。編集者であり文章を書く仕事を生業にした背景には、間違いなく、その当時の躍動が原点にあります。

 

と、前置きが長くなってしまいましたが、その私のスーパースターであるロックバンドのボーカルが当時、レコメンドしていた本を久しぶりに手に取りました。

 

タイトルは、「ぼくを探しに」。

 

シカゴ生まれの作家でありイラストレーターのシェル・シルヴァスタインによる本作は、「何かが足りない。それでぼくは楽しくない」と、足りないかけらを探す旅に出た「ぼく」の話です。欠けによってまん丸ではない「ぼく」は、きれいに転がることができず、立ち止まってはミミズとおしゃべりしたり、花の匂いをかいだり、蝶がとまりに来たりします。そうこうしながらようやくぴったりの欠けらを見つける「ぼく」。念願のまん丸になれた「ぼく」がそのとき感じることとは…..?

 

自分なんか探さなくても、すでにそこにあるから心配いらないよ、なんて突っ込んでしまいそうですが、どうぞ安心してください。そういう突っ込みとは別の角度から、ささやかに自分を見つめられる本です。欠けどころかでこぼこだった10代の私にとって、この「ぼくを探しに」は多くのことを気づかせてくれました。また随分大人になってしまった今の私が読んでも、心ががすっと解されます。

 

ちなみに、私のスーパースターは当時、髪を逆立て激しいメイクをしながら音楽を通じて社会と闘っていたような人でした。そんな人がこのゆるいイラストがチャーミングな「ぼくを探しに」を推薦するギャップ?意外性?がまた、私の心を虜にしたのでした。

 

皆さんもぜひご縁があれば手にとってみてください。