ドアをノックするのは何故だ?

日々、意味>新 2018.06.15 橋本 司

近頃というまでもなくけっこう前から、だいたいのトイレのドアの鍵には「入ってる/入ってない」のサインが付いてますよね。視認性の良さの問題はあるけど「サインが付いてる」という前提に立てば、見るだけで「入ってる/入ってない」を確認することはできます。でも、けっこう見かけるんですよね。ノックしてるの。

 

「サインは入ってるになってる。でも、ノックをする」というのは、念のためほんとに入ってるかを確かめたいんでしょうか?そういうケースもあるでしょうけど、おそらく大半はそうじゃないですよね。「待ってる人がいますよー」「急いでもらえませんかー」というのがノックしてる時の心情じゃないでしょうか。

 

自分の存在をアピールすることでなるべく早くしてほしいというのがノックする側の要望だとして、ノックされる側はどうでしょうか?トイレによってはノックを返そうにも中からじゃドアに手が届かないトイレもあります。それに、ノックを返したところで外の人が「待ってるから急いで!」という意味でノックしてるんだとしたら「コンッ」と返ってきたところで知ってるわけですよ、中に入ってるのは。こっちが欲しい返事はそんなことじゃあないんだよと、さらにドンドンされようものなら中の人も落ち着きません。

 

そうなると、中の人が発したい、外の人が欲してる情報はひとつ。「あとどれくらいかかるか」です。

 

なので、ノックの意味合いを入ってるかどうかの確認から「あとどれくらいかかるか」にシフトさせるってのはどうでしょう?扇風機の「切・弱・中・強」みたいな感じで、例えば

 

・ノック0回:どれくらいかかるかわからないロングランコース
・ノック1回:まだちょっとかかりそう
・ノック2回:あと数分で出られそうです
・ノック3回:まもなく出ます

 

というように。ノックの回数は逆の方が意味合い的に通じやすそうですが、余裕のない時に複数回は辛いかもしれないので反対にしてみました。

 

これが周知されれば、ノックを必要のなくなった過去の習慣にしてしまうんじゃなくて、今でも求められてる情報のサインとしてアップデートできるんじゃないでしょうか。どうですかね?