地下鉄ノスタルジー

日々、意味>新 2018.08.31 橋本 司

地下鉄の切符代わりにコインを使うのがなんともかわいらしかった。切符を買う要領でお金を入れるとコインが1枚出てきて、それがおもちゃみたいなプラスチックのコインなんですね。で、駅の改札でそのコインを入れるのかと思いきや、PiTaPaやICOCAなんかと同じように改札口でかざすんです。すると、コインの中にICチップ的なものが入ってて、ピッと改札が開く。改札を出る時は自販機のコイン投入口のようなのが改札に付いてて、そこにチャリン(とはいわないけど)と入れるんですけど、ハイファイ/ローファイというかアナログ/デジタルが入り混じってる感じがなんともノスタルジーを感じさせるものがありました。

 

改札を通るとその後はやっぱり電車に乗るわけですけど、コインもさることながらより印象に残ったのは電車の座り方でした。正確に言うと、自分が座ってる隣に人が座ってきた時に、当たる/当たらないに関わらずちょっとだけスライドして避けるやつありますよね。アレです。日本人の方ならたぶんみんなしますよね?台北ではアレをしてる人を1度も見ませんでした。

 

パーソナルスペースの平均値の違いなのかどうかはわかりませんが、台湾に行った人が口を揃えて言う「親切・人がいい」のベースになってる感覚のような気がして、なんだかいろいろ考えさせられました。コインのノスタルジーも手伝ってか、台湾人の「人のよさ」は自分がまだ子どもだった頃の日本にはあったんじゃなかろうか(だから、こんなに心地よく感じる)。そして、いま台湾で「人のよさ」を感じるということはいまの日本にはそれがなくなって(きて)ることになる。だとしたら、この数十年でどうしてそれが失われてしまったのか。

というようなことを、ひとりなのに2種類の小籠包を食べたいがために16個食べる羽目になり、小籠包を台湾ビールで流し込み、腹パンパンで虚ろになりながら思ったりするのでした。また行きたいな。