テキスト?テキスタイル?

日々、意味>新 2019.10.04 加藤 孝司

デザイナー?の大江ようくんと出会って、もう10年近く経つのだろうか?たしか…(前にもそんなことを書いた気もするので割愛。。)
最近は仙台を中心に活動しているという彼から渋谷ヒカリエのアイーーマでまた展示をしますと、連絡をもらったので最終日に行ってきた。

テキスタイルファウンデーション「TEXT」として近年活動する彼の活動は、何度聞いても分からない。無礼にも今回もまた聞いてしまった(よう君ゴメン。。)。

彼はもともとファッションの分野で活動をスタートしている。しかもファッションの素材である布=テキスタイルに関してはプロフェッショナルだ。

今回の展示でもテキスタイルが壁面に展示されている。いつも彼の作品には言葉が添えられていて、彼が文章=テキストに力をいれていることも分かる。だから、彼の活動には「TEXT」と名付けられている。

ボーダーやグレンチェック柄のテキスタイルにはイラストレーションや言葉がシルク印刷でプリントされている。今回の展示自体がそこが味噌で、イラストレーターやアーティストの作品原盤(スクリーン)を大江君が扱い、それをもとにしたアウトプット作品が展示されているのだ。

そこに添えられたキャプションにはXXXXSからXXXXLまでタイトルがつけられている。表現における小さな単位から最も大きなXXXLまで、スケールを横断してテキスタイルと作家によるアートワークを扱う意味や目的、彼なりのストーリーが描かれていて興味深い。

テキスタイルはそことあそこを隔てる薄いスキンであり、風にゆらゆらと揺れてとりとめもない。何かを守るという機能とともに何の役にも立たない、その軽やかさが心地いい。テキストもまた、誰かの運命を左右する力を持ちながら、誰にも影響を与えない、自分勝手な気ままさをもっていて、そこがなんとも小気味よい。そんな二つを横断的に扱うよう君の「TEXT」の活動も、その存在自体が突っ込めば誰かからすぐに逆の意味に言いくるめられてしまいそうな薄い被膜のような存在でありながら(そんでもっておしゃれ)、だけどひょいとかわして別次元に着地して図太く生きている、そんな軽やかさをもっている。いつも一緒にいるわけじゃないけど、いつでも気になる存在なんだなあ。