糸杉と桃の絵
年を重ねることは、経験を重ねること。その経験が自分自身を今いる場所からもっと遠くへ、行ったことのない場所へと運んでくれるきっかけになってくれたりします。と同時にときに経験は、先入観や固定概念という言葉にすり替わることがあって、それに縛られてしまい、物事をひとつの方向でしか見れなくなるときがあります。
どれだけ自由な発想を自分の内側に持ち続けられるか?
考えることで生まれるいろんな苦悩があります。それは切実な苦悩です。その苦悩に対してささやかな薬になるのが、私の場合アートだったりします。
先日、2枚の絵を購入しました。どちらもイラストレーターの塩川いづみさんの作品です。いづみさんとの出会いは、7、8年前になるだろうか。共通の仕事でお世話になっている人の結婚式でお会いしたのが初めてだったと思う。その後、編集、執筆させていただいたコスチュームジュエリーのブランドpetite robe noireのムック本で被写体として出演いただいたり、音楽家の椎名林檎さんのオフィシャルサイト内の企画で絵を描いてもいただいた。お仕事を入り口とした関係性からはじまった私たちは、突如、根室の旅、それも4泊5日(飛行機が豪雪で飛ばず延泊!)の旅で変化したように思います。
空と海と雪と。あの何層にもわたる青色を一緒に観たことが大きかったのかもしれません。何よりいづみさんの絵と根室の景色は親和性が高いように感じ、以来、日常のなかに点を打つように、いづみさんとプライベートでもお話するようになりました。いづみさんの振る舞いは、描かれている絵の振る舞いそのものに思えたのです。物事の本質を、捉えた線。美しい輪郭。
「いづみさんの絵を、買いたいです」。
と、私がお願いすると、「絵を観に来ませんか」といづみさん。当初、私は女性のポートレートが欲しいと思っていたけれど、いづみさんが目の前に出してくれる絵をひとつひとつ眺めているうちに気持ちは変化していきました。絵は、自分の今日ただいまの心情にまっすぐに作用してくるもの。最終的に私が手にした絵のタイトルは、糸杉 cypress。ゴッホが晩年に描いた木でも知られている糸杉。花言葉は、死、哀悼、絶望。・・・私にその絵を受け止めるだけの余裕があるだろうか。などと、迷う私に「再生という意味も含んでいます」といづみさんは言う。自分にはこの糸杉とご縁があると確信しました。
そしていづみさんと絵の片づけをしている最中に、ふっと目に飛び込んできたもう一枚。それが「桃」の絵でした。「こちらも買いたいです」と惹かれた瞬間にいづみさんに向かってお願いしている自分がいました。
今、我が家には糸杉と桃の絵が飾られています。
じっくり時間をかけてこの絵と仲良くしていけたらいいな、としみじみ思います。