暗闇とヤチボウズ
「ふたつの東から」にあるように、ここ数年、根室に通っています。訪れる度にいろんな気づきがあるけれど、なかでも自然と人間の共生についてはよく考えさせられます。有史以降、ほとんど人の手が加わっていない原始の森、春国岱をはじめ、蝦夷鹿の気配が日常にいつも横たわる根室は、人間の暮らしと自然の営みが本当に地続きで、境界線が曖昧です。そして、街灯も何もない暗闇。ツンと空気の澄んだその暗闇の中で見る満天の星空は、自分の今立っている場所を明らかにしてくれるような感覚があります。
都心で暮らしていると暗闇がありません。いつしかその暮らしに慣れてしまっていたけれど、根室で暗闇を体験するごとに、今、この暗闇の中に一人放り込まれたら、死んでしまうな、と思うことが多々あります。死が隣り合わせであるという事実が切実に迫ってくるのです。それはとても怖いことであるけれど、暗闇が教えてくれることもたくさんあるような気がしています。なぜなら灯が明らかにする街の情報は、時に人の思考を停止させるから。暗闇の中で見えない世界を想像する。それは自分の輪郭をなぞることでもあります。
先日訪れた根室では、初めて谷地坊主(ヤチボウズ)を見ました。こんもりと盛り上がった草の塊、ヤチボウズは、株が毎年同じ場所で古株の上に生い茂って成長したもので、春先になると湿原のそこかしこに登場します。その異形の姿は森の精霊のような、でもどこか人間的な愛嬌があってとても惹かれます。そんなヤチボウズを暗闇で見ると…,、これがまたかなり怖い。
人に怖さを感じることが多い都会暮らしで、自然や暗闇に怖さを感じることは、生き物としてとても健全なことだなあと、つくづく思います。