自己の暗闇から手をのばす。
写真家、山谷佑介氏のドラムパフォーマンス

日々、意味>新 2018.07.08 加藤 孝司

ユカツルノギャラリーで開催中の写真家山谷佑介氏の個展に行ってきた。山谷氏は新婚旅行を撮影した作品や夜の街を赤外線カメラで撮影した作品などで注目される写真家。

新作展「Doors」は最近山谷氏が行っているドラムパフォーマンスに関連したセルフポートレート作品。暗がりの中で愛機であるドラムに設置した一眼レフカメラで振動に反応しシャッターを切る装置を開発。ドラムパフォーマンスをすることで近接写真が撮影され、それがリアルタイムでギャラリーのプリンターからとめどなくプリントアウトされる。写真とは真実を写すものと思われている。撮影、現像、プリントというプロセスをもつかつてのフィルム写真主流の時代に比して、デジタル写真が主流の現在、写真は撮ったそばからカメラの液晶モニターで確認することが可能だ。コンマ何秒遅れで液晶に映し出される画像は、音楽でいえばディレイのようなもの。ディレイとは演奏した音を、リアルタイムの音とわずかの時間のズレで再生される音を同時に作り出すことで、奥行きのある音を作り出すこと、そしてそれを作り出す装置のこと。写真においてのそのディレイ効果は、そこに現実とのわずかなズレを生じさせることで、リアルを映し出しながら、過去を生産することで非現実をも同時に生み出す。

山谷氏の「Doors」でも、ドラムパフォーマンスと撮影という、身体性と写真という徹底的なリアリズムを追求しながら、暗闇でフラッシュする目には残像としてもほぼ残らない一瞬と、プリントアウトするというその時間のズレが生み出す過去が重なる。いわばリアルと非現実とが同時に生み出されている。

ひるがえって展示空間に目をやると、壁面にはパフォーマンスで撮影された作品と、パフォーマンスにより経年変化したドラムヘッドのディテールがクローズアップされ額装された作品が展示されている。床には複数のプリンターから少しの時間遅れで出力された写真が無造作に散らばる。

そういった過程で生産された作品の中の山谷氏のクローズアップされた表情は、躍動し、歪み恍惚し陶酔しているようにも見える。それは暗闇に光るフラッシュの一瞬の閃光の中で僕たち鑑賞者がみていたであろう光景だ。写真家がひと目もはばからず自己の姿と内面をさらけ出す行為。それは最近京都でみた写真家の深瀬昌久氏のセルフポートレート作品にも通じる切実さを感じた。徹底的に自己をさらけ出し、内面を痛めつけるかのように撮影する深瀬氏のセルフポートレート作品は自らの腕を伸ばした位置からノーファインダーで撮影されていた。そして山谷氏のセルフポートレートもドラムセットの間近、ちょうど手を伸ばしたのとほぼ同じ距離で撮影されている。その2つの作品の身体との距離の類似性も興味深い。そしていまこれを書きながら思い出したのだが、その深瀬氏の作品を展示したちょうど同じタイミングで、山谷氏の最初のドラムパフォーマンスが京都で開催されていたのだった。

自己の暗闇から手をのばすようなその写真行為。それはいったい何をどのように写し出すことを目論んでいるのだろうかとても気になる。

 

加藤 孝司
加藤 孝司
加藤孝司/かとう たかし
デザインジャーナリスト。東京は浅草生まれ。デザイン、クラフト、アートなどを横断的に探求、執筆。雑誌やウェブなどへの寄稿をはじめ、2005年よりはじめたweblog『FORM_story of design』では、デザイン、建築、映画や哲学など、独自の視点から幅広く論考中。休日は愛猫ジャスパーと過ごすことを楽しみとしている。

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