機能主義、工業、芸術、モダンデザイン

日々、意味>新 2019.07.05 加藤 孝司

先週の金曜日から東京・無印良品銀座のATELIER MUJI GINZAのGallery 2ではじまった「Archives: Bauhaus」展(2019年9月23日まで)。小さな展示ながらバウハウスで学び、金属工房の主任としてデスクランプのマスターピースなどもデザインしたマリアンネ・ブラントの貴重な写真作品なども展示されていて、なかなか見応えがあります。

なぜいま、90年以上も前に閉校したデザイン学校なのか?実は今年はバウハウス開校100年の記念の年だからです。100年前といえば、日本では大正時代。関東大震災の4年前です。そんな時代にこのようなモダンデザインが生まれたのも奇跡のような感じなのですが、紆余曲折あったバウハウスの14年の歴史にも興味があります。

先週末は「Archives: Bauhaus」展のトークイベントが行なわれ、本展企画のランドスケーププロダクツの中原慎一郎さん、一昨年バウハウスの生徒でもあったマルセル・ブロイヤーの展覧会も開催した東京国立近代美術館工芸館主任研究員の北村仁美さん、株式会社良品計画 生活雑貨部 企画デザイン担当の片岡義弘さんと共に僕も登壇させていただきました。当日のトークではバウハウスの芸術・技術学校としての教育とデザインについて1時間半にわたりディスカッションしました。ご来場いただいたみなさまありがとうございました。

その時はお話できなかった内容を少しメモとして以下に記述します。

モダンデザインはバウハウスから生まれました。だが、それを生み出した巨匠たちは、モダンデザイン以前の教育を受けてきた人たちです。そんな彼らがどんなルーツをもち、その後のモダンデザインの礎をつくることができたのか?

バウハウスの語源は、12〜15世紀のゴシックの大工、石工たちの教会建設小屋=工房の意味の12世紀くらいに起源をもつ「バウヒュッテ」から。バウヒュッテは次第にある種結社めいていき、技術がもれないように暗号を使っていたりしたという。石工ということからも分かるように、実はバウヒュッテはのちのフリーメイソンともいわれていて、ここらへんは調べていくと実に興味深いんです。

1919年から1925年までのワイマールバウハウス時代のマイスター、ヨハネス・イッテンや、オスカー・シュレンマーらのある種神秘めいていた手工作には、バウハウスがそもそものその起源にもっていた神秘主義的ともいえるひとつの傾向があらわれていたのではないか。

機能主義、工業、芸術、モダンデザインなど現代に続く近代色の濃いバウハウスですが、中世ヨーロッパのミステリアスさも併せ持っていた。実に人間的ですよね。その神秘主義的な側面は、本展にも展示されているブラントがデザインした灰皿のかたちや、コーヒーサイフォンやエッグコドラーなどの実験器具のようなデザインと機能にもあらわれていたのかなあと思ったり。バウハウスは僕が初めて出合ったデザインで、まだまだ書きたりないこともあるので、続きはまた次回にでも。