ある画家の文章から得た、強烈な美術体験

日々、意味>新 2017.10.20 水島 七恵

昨年、東京・国立近代美術館で行われていた『トーマス・ルフ展』。
展示は想像以上に見応えがあり、その余韻に浸りながら美術館を後にする予定が、ちょうど同館ギャラリー4では、『奈良美智がえらぶMOMATコレクション 
近代風景〜人と景色、そのまにまに〜』(以下『近代風景』)が行われていました。せっかく来たのだからと、例えるならばメインディッシュの後のデザート感覚で、私は『近代風景』にも足を運んで見ることにしました。


画家・奈良美智に影響を与えた作品約60点を、奈良自身が選び展示するという『近代風景』。いざ展示を見るうちに、新しいメインディッシュが目の前に運ばれてきたんだと、すぐに痛感しました。『近代風景』、本当に素晴らしく、しびれる展示だったのです。
その大きな要因になったのは、意外にも会場入り口に配布されていた冊子です。冊子は、作品解説のための冊子で、奈良自らが寄せた解説文が掲載されていました。

 

私はその奈良の文章を読みながら、目の前の作品と対峙しました。

 

すると、作品が携えている多様な物語性や感情が、あふれんばかりに私に迫ってくるのです。作品を描いた画家たちの生きた時代、美術的背景を丁寧に押さえながら、作品に対する奈良の切実な検証を含んだ文章を一目読んで、私はそのとき、奈良の視点と言葉もまた、作品の一部であると思いました。作品と「私」をつないでくれる濃密でふくよかな奈良の文章こそ、私にとってはある種の強烈な美術体験となったのです。

 

 

若者は、その青さを恥じたり、大人になろうとしたりして、多くの不安を抱えて生きている。彼は、その青さをほとばしらせるように叫び、大人になってしまう前の朝焼けにも似た時間に、悩む自己を絵の中で解放していた。それはモラトリアムとも違う、感情の発露としての絵画や詩作なのだ。

『奈良美智がえらぶMOMATコレクション 近代風景〜人と景色、そのまにまに〜』
村山槐多の作品に対する奈良の解説を一部抜粋

 

そんな忘れ難き美術体験を経て、先日、私は仕事で新潟に滞在していました。そこでふいに目に飛び込んできた1枚のポスター。それは、大正時代に活躍した画家・萬鐵五郎の没後90年を記念した『没後90年 萬鐵五郎展』(新潟県立近代美術館)のポスターでした。萬鐵五郎。私はそのポスターを一目見たときに、『近代風景』でも紹介されていた画家の展示であると気づきました。これは行かないわけにはいかない。なんとか時間を作って新潟県立近代美術館に足を運びました。

 


「目を開けている時は即絵を描いているときだ」と発した萬鐵五郎、やはり最高でした。と同時に、そんな萬鐵五郎を知る入り口を与えてくれた画家・奈良美智が、余計に気になって仕方がないのでした。

 

 

このいろいろと折衷された面白さは、40歳を過ぎ、ひとつのスタイルを意識することなく、自然と自由になって生まれたものの感がある。これからいろんな絵が生まれそうな予感がする。

 

 

『奈良美智がえらぶMOMATコレクション 近代風景〜人と景色、そのまにまに〜』
萬鐵五郎の作品に対する奈良の解説を一部抜粋