アスリートへの問いかけ

日々、意味>新 2017.03.10 加藤 孝司

21_21 DESIGN SIGHTで2月17日から始まった企画展「アスリート展」は、さまざまな点で私たちにもっとも身近にある「身体」について考えさせる展覧会である。
私たちはアスリートという存在についてどのようなことを知っているだろうか?鍛えられた肉体、研ぎすまされた精神性。超人的な身体能力と偉大な記録。スポーツ新聞の一面をにぎわすヒーロー。それらはどれも間違いではない。だが、アスリートとは?という問いかけの前に、ある種の天才、自分とは異なる手の届かない特別な存在と認識している自分がいる。
子どもの頃、特に男子であれば、トップアスリートという存在に惹かれ、何かしらのスポーツに親しむ。そして肉体の高揚感と精神の開放感を感じ、達成感とやがて挫折を味わう。

アスリートと私たちの違いとは、そんな日々の積み重ねや試行錯誤を繰り返すことをいとわず、自らの目標を達成するために自己の限界を乗り越えていくことができるかどうか?それは何も特別なことではなく、日常の何気ないふるまいや出来事に対し、繊細に、ときに執念深く感覚を研ぎすまし、持続的に向き合うことができるかどうかに関わっている。

自己と向き合い、努力を重ねることでのみ実現する、アスリートのある人間離れした驚異的なパフォーマンスは、それを見るものの心をゆさぶる。
もしかしたらあり得たかもしれない自分という存在に重ね合わせ、アスリートをテレビ、あるいはスタジアムで観るとき、人はそこに文字通り自らを投影しているのかもしれない。