ハロー・ワールド
https://www.arttowermito.or.jp/gallery/gallery02.html?id=471(会期終了)
急に思い立って行ったうえ、途中 電車が遅れたことなどもあり、閉館まで1時間強くらいというタイミングでの入館となってしまったので、映像系の時間を要する作品はじっくり見れなかったのがとても残念ではあるのだけれど、どの作品も非常におもしろく、素晴らしいエキシビションであった。
ゴールデンウィーク中であったにもかかわらず、割合空いていたので、インスタレーションを独り占めできる瞬間も多々あり、とても満足感が高い体験となった。
エキシビション全体を批評できるほどの言葉を僕は持っていないので、友人から送られてきた当展担当学芸員の山峰潤也氏のインタヴューのこちらの記事がとても参考になると思う。
https://www.cinra.net/interview/201804-helloworld
〜批評家のマーシャル・マクルーハンは、「芸術は、いわば危険早期発見装置である」と述べましたが、僕が若いころ出会ったメディアアートには、そうしたテクノロジーへの問いや深い思想的な広がりがありました。
だけど、この十数年でメディアアートは決定的にショービジネスや技術のプロモーションツールになってしまった。そうしたなかで今回の展覧会では、技術革新の負の側面にも触れながら、これからの人間がその環境においてどう生きるのかを問いかけるアーティストを紹介したいと思ったんです。〜
(付け加えるならば、先日の谷川俊太郎展の記事 http://imi-shin.com/diary/2018/04/11/1525/ でも書いた、はじめの部屋のインスタレーションを良いと思った感覚にも通ずる理由からであり、前回の猿の一刀彫り http://imi-shin.com/diary/2018/04/27/1569/ 然り、全てつながっているなあと思いました。)
無数のケーブルやコード類などが敷き詰められた床からモニタ背面の入力端子へと伸びる電力や信号を伝えるためのケーブルがあたかも人の血管のようにも中枢神経のようにも。
磯崎新氏の設計でもある当建築の一室のトップライトからは神々しい光が降り注ぎ、これほどまでに美しいキスシーンを見たのは初めてかもしれない。
ドラえもんだったかバック・トゥ・ザ・フューチャーだったか、いつだったか子供の頃に何かの話の中でみた ”ワープ” という概念を説明するくだりでは、小学生のとき自由研究などで使った大きな模造紙のような紙の端と端に二つの印をマーカーでつけて、ここを最短で結ぶにはどうしたらいいか?というような問いに始まり、のび太、もしくはマイケル・J・フォックス演じるマーフィなどに値する誰かが示した答えは、印と印の間に直線を引くというものであった。が、ご存知の方はすでにお分かりの通り、概念を伝える側の博士あるいはロボットが示した方法とは、子供の日に食べる柏餅のように、大きな紙を曲げて印と印をピタッとくっつけてしまうという方法であった。
NHKのBS-2で海外のドキュメンタリー番組をひたすら観ていた時期にみた「ヨーロッパ・ピクニック計画~こうしてベルリンの壁は崩壊した~」でも、長い長い壁の小さな点をきっかけに、ことは急速に動き出したと記憶する。
急展開をみせる隣国のトップ達の顔が頭をよぎる。
3枚目の写真は、谷口暁彦氏の『address』。インターネット上で中継されている監視カメラの映像を外部から操作・撮影し、デイヴィッド・ホックニーの一連の作品を彷彿とさせるフォトコラージュによる風景写真である。
これを綴っているまさに今も、『監視カメラに不正アクセス キヤノン製、60台以上被害』というニュースが流れ込んできていて、ああ、タイムリー。
4枚目は、一番はじめの部屋で行われていたセシル・B・エヴァンスのインスタレーション『溢れ出した』。閉館時間に戻ってみると一日の芝居を終えたロボットたちがうなだれていた。(その姿がとても人間らしかった。)
5枚目は、駅前の大通りの掲示板に掲げらていたポスターの写真。今回フライヤーやポスターのグラフィックもとてもカッコよく、そのかっこいいポスターとこの通りに常設されている掲示板の意匠が妙にマッチしていて興味深かった。
期せずして、素晴らしいエキシビションに巡り合い、空いている状況下で作品を堪能をできて、最高に満足のいく滞在であった。
ああ、僕も広い空間が欲しい。