032018

Special #24

70cmから見える世界

Photography & Text加藤 孝司

目線の位置や高さは、その人にとっての世界の見方を決定づけるものだ。3歳の子どもの平均身長である身長90センチの高さから見る世界と、身長170センチの大人が見る世界は、同じ対象を見ていながら、その目線は大きく異なり、ひいてはそれが世界の認識の仕方を左右する。例えば、身長80センチの子どもと大人が見ている部屋の大きさは、同じものでもまったく異なる。ものすごく広く感じていた子どもの頃に過ごした部屋を大人になってみてみると、こんなに狭かったんだと感じるのは、外部的なものではく、自分の身体的な大きさに関係している。

それは認識の問題や物理的な大きさ以外に、世界をみる目線の高さにも関係しているととらえることも可能だ。見上げる視点と、水平もしくは見下げる視点とでは、みる対象の見え方、認識の仕方も大きく変わってくる。

私たち日本人は、椅子とテーブルの暮らしが一般的な外国の人たちとくらべて、床に座って生活することが少なくない。それは畳での暮らしが長かったこととも関係しているが、私たち日本人の暮らしも高度経済成長期以降、空間のしつらえも、インテリアのスタイルも変化し、椅子とテーブルの暮らしが多くなったいま、ものをみる視線の位置も大きく変化したのではないだろうか。

でもいかに椅子とテーブルの暮らしが一般化したといっても、床の暮らしが長かった私たちは、家具屋やホームセンターに行ってお気に入りのダイニングセットやリビングのソファを買っても、ソファを背もたれに、床の上に座りテレビを見たり、寝ころんで寛ぐことも少なくない。日本人の体に染みついた「床座」の暮らしに心地良さと開放感を感じる感覚は、そうそう変わるものではない。

部屋のしつらえが、簡単に言えば「欧米化」し、部屋の中を見渡しても、西洋風のインテリアが多くなった現在、日本人らしい、日本的な床座の暮らしを豊かに快適にする家具やインテリアはまだまだ少ない。
ホームセンターで売っている座椅子や座布団、ちゃぶ台、こたつなど、昔ながらの和風の家具は、もちろん機能的で便利で、使えばハマるものではあるのだけれど、いまのインテリアには、主張が強すぎるのか、どうもフィットしてくれない。 日本人の暮らしを考えたときに、畳の上、フローリングの床にカーペットを敷き、あるいは板間の上に座ることが本来的に心地よいと感じる感覚は、これはもうどんなに日常が「西洋化」しようとも、日本人の身に染み付いたものとして、変えようがないものなのかもしれない。昔の家には床の間があったが、あれなどはまさに、そこに置く活花、掛け軸など、座った時の目線を軸に考えられている。

もちろん、欧米の家具に囲まれて暮らす心地よさも否定するつもりはないし、むしろ大好きだ。でも、床での暮らしにも過不足なくフィットし、大好きな欧米の家具やインテリアにもマッチする、床座の暮らしを文字通り豊かにしてくれるインテリアがあったら、21世紀も20年迎えようとしているいま、そこからまた新しい暮らしの、オルタナティブな風景が見えてくるのではないだろうか?

そこで着目したいのは、座った時の平均70cmという目線の高さ。日常無意識に視線の位置にみえるものを基準に私たちは生活をしている以上、座ったときの目線の先に見えるもの、それも私たちの風景のひとつとして受け入れ、デザインに関わるものとして、そこにも向き合い考えることが重要だ。

そして立っているときも、座っているときも、その視線の先に、心地よいと感じるものをしつらえること。
そんなことを考えながら、私たち日本人にとっての等身大、あるいは、今よりちょっと楽しい暮らしに、あったらいいなと思えるものを、70cmの視点から考えることをはじめたいと思う。

海外では日本人がつくるものや、考えることが、評価されることは過去も現在も少なくない。禅スタイルなどの影響をみるまでもなく、世界各国での日本の伝統工芸や食が注目され、オルタナティブな生き方のためのひとつのスタイルとして定着しつつあるいま、70cmから見える世界を豊かにすることは我々日本人のためだけではなく、世界中の人たちにとっても有益なものになるのではないだろうか。

それはカタチや色において、何も特別なものではないかもしれない。でも、今までありそうでなかったもの、身の回りに当たり前にありながら、今まで気づかなかったようなもの。デザイナーたちのアイデアで、こんなのもいいな、あんなのもいいなと、ふと気付きをもらえるようなもの。それがあることで私たちのささやかな暮らしを今より楽しく豊かにしてくれるもの。
床に座ったときにみえてくるその視線の先にある私たちの世界。「70cm」から見える景色を考えてみたい。

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