122018

Special #33

つくること、考えることNPWの学校 古本浩氏インタビュー

広島の古本浩くんが行う、革作家曽田耕さんが考案した
NPW=ヌメ革パッチワークというカバンをコンセプトにした「NPWの学校」をご存知だろうか?

均等に穴の開けられた革の端材を金槌を使いカシメ、カバンをつくるワークショップ。
革は革製品をつくる際に出る端材を用いる。いわば捨てられる運命にある、形を色も大きさも異なる革に光を当てて、新たな価値をつくること。
捨てられるもの、ワークショップの他の参加者が選ばなかったものが、世界にひとつしかない自分だけの大切なカバンの材料になる。
 
自ら材を調達し、ものをつくるDIYが定着しているいま、NPWの学校がユニークなのは、自らものをつくる喜びを満たしながら、
気づくと気づくまいとに関わらず、行きすぎた消費社会というものであったり、増大するゴミ問題であったり、
自分が生きているいまという時代と結びついていること。
そしてそれは作為なくものを選びひとつのカタチをつくる、アートとも肉薄している。

その行為には失敗も正解もなく、あるとしたら自分が良しとすることのみが、唯一正解となる。
そこにはものを見る自分の目が試されているようだ。

 

そして出来上がったものは、デザインやクラフト、ファッションやアートというもののカテゴリーを軽やかに揺さぶっている。

講師の古本くんは決まった場所を持つのではなく、端材と金槌とカシメを持って、国内外を車で移動し、
各地でこのワークショップを開催している。

移動して生活をするジプシーのように、自分の身ひとつで仕事をし生活をするその働き方事態も興味深い。ボクは何度となく、
このワークショップに同行してきた経験を持つ。今回はそのNPWの学校を主催する古本浩くんに、ワークショップを始めた経緯から、
そこに込められた問題意識や目指すものなど、じっくりと聞いた。

ものをつくり手にする喜びと本質を取り戻す

NPWの学校を始めたきっかけを教えてください。

2014年の春のことでした。その時分、fooというセレクトショップ運営していたのですが、店頭に置いてあった曽田耕のNPWというバッグのカシメがポロっと取れたんですね。そこで曽田さんに返品しようとその旨をメールで伝えたら「カシメと材料送るからご自分で直してください」という返信が返ってきたんです。
びっくりしますよね。普通「メーカーやブランドが作ったものを僕たち素人が直して良いわけがない」という頭が当時の僕にも当然ありましたから。
程なくカシメと革の材料が入った茶封筒がお店に送られてきました恐る恐る直してみると金槌一つで超簡単に直すことができました。
これまた二度目のびっくり。
なるほど、NPWはこういう仕組みで作られているんだ。この簡単さならこれはワークショップとして展開できるのではないかと思い立ち、
その日の内に曽田さんにワークショップの打診したのを覚えています。

それですぐにお返事をいただいたのですか?

はい。返事はOKでしたが、その時「NPWをワークショップとして考えたのは古本さんが初めてかも」とも言われました。
そうして行ったワークショップが大成功に終わり、2015年1月から自分自身の仕事を「NPWの学校」というワークショップにシフトしました。

それでお店も手放してしまったのですか?

はい。最初の頃は広島の知り合い美容院のお庭などでもやらせてもらっていました。


それまで経営していたfooという人気店を手放してまで始めた理由と、NPWのどんなところに可能性を感じたのでしょうか。

2014年当時、お店を始めて11年目を迎えていたのですが、年々売りたい物がなくなっていったんですよね。
展示会に行ってもいわゆるデザインされたもの、トレンドのもの、そんな物ばかりが目につき、そこに新鮮な空気を感じられなくなっていました。
今思えば長いあいだ、曽田さんの手数の少ない過剰なデザインを一切排除した作品を見てきたことで、そういうわざわざな物やデザインされすぎた綺麗すぎる物に魅力を感じれなくなっていたんでしょうね。
そもそも一人の人間が心底良いと思えるものが毎年都合よく見つかるわけないとも考えていたので、これまでの商品を変わりなく継続して販売していたんです。
そうすると当然商品も少なくなっていきますよね?同時に店として成立しなくなるというか、自分の中で実店舗の意味が薄れてきました。商売人としては完全に失格です。
その一方で2014年の夏に企画したNPW初のワークショップ「NPW365をつくってみる」は、ワークショップ業界としては一万円という割高にも関わらず二日間で42名満席になりました。
その時漠然と気がついたんです。「いまはみんな手を動かすことに飢えているのではないか?そこに現代の乾きがあるのではないか?」と。

自ら商売をしていた古本さんならではの気づきですね。

そうかもしれません。昔から「商売」って言い方を変えると「人の渇きを潤す」ことだと思っていて、空腹や物欲も全部「人間の乾き」とも言い換えられるじゃないですか。
欲しい物はネットで当たり前に買える時代に突入して「物を買う」という行為に対しての”買えないかもしれない不安”や”店に足を運びようやく手にした高揚感”は激減したと思っています。つまりそこに乾きがなくなったということです。
店に行く行為と人に会う手間を省いたことで、同時に購買に於ける偶然性も含めた大きなストーリーも失ったと思っていて。
加えて、その喪失感は利便性という煙幕に包まれているからその失ったストーリには多くの人が自覚的ではありません。
しかしながら、そんな時代も長く過ごすと本能的に反対のもう一方の乾きが生まれてくるものです。
それが先ほども言った「手を動かす事への乾き」ですが、この乾きに対してもまた誰もが無自覚です。
当時からそう考えていた僕はワークショップを大成功に終わらせたその日の夕方曽田さんに、「ぼくをNPWのワークショップの講師に任命してくださいませんか?」と直談判したんです。そしたら意外にもOKを頂き、その時はじめてfooを閉店することを決意しました。

そう思った決めてはなんだったんですか?

「このワークショップは仕事になる!」と直感的に思えたんです。
ポイントは曽田さんは作家なので、ワークショップを仕事にはしていないということ。僕自身がとりわけ講師募集もされていなかったこのNPWの手法を勝手にワークショップという仕事として拾い上げ、曽田さんに直談判した結果に過ぎません。
つまり「そもそも無かった仕事」なんですね。
それまでの二、三年はずっと実店舗の存在意義みたいなものを見出せずに悶々としていた時期でした。自分としては、このワークショップに出会えてようやく溜飲が下がった気持ちにもなりました。
どこか救われたような感覚であり、自分にとっては常識を覆される劇的な出会いでもありました。

NPWとは革作家の曽田耕さんのオリジナルプロダクトで、fooでも長年人気アイテムでした。曽田さんとはどんな作家だと思っていますか?

今の時代に稀有な「社会とモノづくりに対して明確な批判とメッセージを持ち、それを自身のモノづくりに軽やかに反映させている作家」ですかね。

曽田さんと僕の関係性もとても珍しいケースだと感じています。普通の作家であれば、その作家自身以外がワークショップとして取り組むのを囲い込むというか、他者に委任しないし認めないと思います。作家としてある意味「手放せる」その姿勢には大変驚かされますし、そこは同じ靴業界のどの作家もなかなか真似できないでしょうね。何より、裁ち落としで簡単に作れるNPWのあり方だからこそ実現出来ている形だと思っています。

ワークショップに使う革はどのように手配していますか?

栃木と姫路の革の鞣し工場から出る裁ち落としを提供してもらってます。傷やシワ、穴が空いている革、色も厚みも様々で僕も一切選べていません。

デザインやファッションではなく、アート?


そこには革産業や、ものづくりへの古本さんなりの問題意識があったと思うのですが、NPWワークショップを通じて伝えたいメッセージ、現状そこにはどんな課題があると思いますか?

メーカーやブランドの均一なクオリティのものを作らないといけないという、大きな宿命の元、デザイナーが新しい革を好みに切って、特殊技術で加工し、時間を掛けてマーケティングし、それを流通に乗せる。
雑感ですが、それも大して売れてないと感じています。
時間かけてつくるから、必然的に値段も高くなるからじゃないですかね。
そういった行き場のない閉塞感はモノづくりの分野で多く見られると思います。
とはいえ、そういう方々がいらっしゃるおかげで当校としては材料に困らないので大変助かってはいます。

それは現代社会の仕組みへの問題提起でもあると同時に痛烈な批評でもありますよね?

モノを提供する側の意識として、消費の在り方から大きくアップデートする必要があると思っています。
指先一つ、クリックひとつで欲しいものが簡単に手に入り、それでもなお満足していないわけですから。
「良いもの=売れる」ではなく、「そもそも今の時代の良いものとは何か?」を考え直す時期に来たのではないかと思っています。

古本さんはNPWをデザインやファッションではなく、アートだと表現されていますがその理由を教えてください。

バックを作るために捨てられた革を、簡単なプロセスで自分だけのバッグに戻してしまうその行為は、ブランドやメーカーに対してはアイロニックなメッセージとなっています。
アート=個人的な未来のカタチと曽田さんも仰ってましたけど、まさにそうだと思います。
間違いかもしれないけど、自分でつくったものをパッと世の中に表明してしまうこと。

周りの皆んなの同意を得てからではそれはどこかファッション的だし、始動が遅くなってしまいます。

なによりアートとは問題やテーマに直面した瞬間に脊髄反射的に早く実行しないと面白くならないと思っています。
且つそれを独断と偏見で無責任に表明できるかどうか。それがファッションとアートの差なのではないか。
NPWワークショップは、そんな一つのアートのカタチや在り方を、気軽に誰でも実感できる数少ないワークショップだと思っています

国内外の様々な場所でワークショップを開催していますね。

こう言った想いやコンセプトにも共感していただき、多くのショップやギャラリーなどでワークショップを開催させていただいています。
“既存の記号に頼らず、自分が自分のためにつくったバッグを持つ”、という物との本来的な付き合い方がもう少しあっても良いのかなと思っています。
あと。他人の評価ばかり気にしてる人には、何かと否定的に言ってくる人に対して「別にあなたの為につくったわけではない」という、相手を黙らせる一言もしっかり自分の中に持っていて欲しいですねじゃないと人の言葉に踊らされて無駄に右往左往し続ける事になる
「そもそも何の為のファッションなのか?」をもう一度考えてみたら良いと思います。

ワークショップを続けることで、どんな気づきがありましたか?

小中高の教育(特に美術)の弊害。「わからない」ということに対して解釈が否定的な見方の一辺倒で、その結果チャレンジングな人が少なくなったような気もします。
そこはもう少し寛容になるべきです。
もっと「わからなさ」の可能性も自覚しないと今後ますますしんどい時代になりそうですよね。

最近ではNPWの学校に加えて、食の活動としての「avot.」を展開したり、WOODSTOCKといった活動も始めると聞きました。そのきっかけと、NPWの学校との関係を教えてください。

avot.は今年六月に行ったロスの朝食で食べたアボカドトーストがきっかけです。略してアボット。ロボットっぽい響きが気に入っています。
広島で誰もやってなかったので遊び半分でケータリングをはじめたら楽しくなって、今では全国でワークショップの合間でキッチンを間借りしてやらせてもらっています。その地元の食材を使って色んなメニュー開発に着手しています。

古本さんが最近NPWの学校と並行して行っている地域の食材を用いたケータリング「avot.」。

「WOODSTOCK」はワークショップで全国を旅しているなかで、尼崎の90年続く材木店の不要ストックの問題に出合ったことがきっかけでした。それらを使って友人の「2M26」というフランス人の建築家ユニットとワークショップというかたちで家具にしてしまおうという試みです。
NO PLOBLEM、NO PRODUCTIONと銘打つこのアクションは、必然的かつ身近な問題から始まるものづくりへの訴求運動になります。
周りを見渡すと「あたらしい問題」を新たに作り出すモノづくりばかりが目に付くので、それらに対しての茶化しも込めています。1969年のアメリカのフェス「WOODSTOCK」の当時のテーマ「人間性の回復」にも意識を向けつつ、「その場にあるモノ(メーカーなどのモノづくりに於いて排出されるモノ)で、簡単に、早く作れる」という文脈でavot.もWOODSTOCKもNPWとコンセプトを重ねています。
NPWのワークショップを開催していただいた店舗様には期待していただけているので楽しみですね。

フランス人の建築家ユニット「2M26」のベンチ


NPWの学校の面白いところは、ワークショップの参加者がワークショップの主催者になったりすることです。ワークショップを通じてある人の主体性を生むきっかけにもなっているとも思うのですが、現代における主体性とはどのようなものだとお考えですか?

主体性は誰でも持っています。問題はその主体性が何によって生成されたかに自覚的になれているか否かだと思います。

古本さんはつくり手、アーティスト、つなぎ手どんなジャンルやカテゴリーにも所属しない新しい存在だと思います。そのような自分自身の存在を自らはどのように捉えていますか?

カテゴライズされたくないという気持ちがなくもないですが、一人間として基本何しても良いと思っている方なので、基本的には自己の偶有性には自覚的でいたいです。おもしろい形だとも思いますが、周りの人には別段オススメもしません。

最後の質問です。NPWの学校は、クラフトやDIYなどと言われることもありますが、ゴールのイメージをあらかじめ描かずに、まず革を手に取り、形にしていくという新しい形のものづくりの一つだと思います。「ものづくりとしてのNPW」とは何だと古本さんは考えていますか?


大抵思い通りにならないこのワークショップの途中でよく言うのは「仮にすべてが思い通りになっても、それでもなお満足しないのが人間ですよ」なんて事を冗談ぽくお伝えしますが、結構本気でそう思っています。

自分で切ったわけでもないその形を受け入れてつくってみる、人が切った材料さえにも意識が向く、思いもかけない形になる、なんだか楽しい、持ちたい、となれば講師としては嬉しいです。

それを実現する最も簡単なアプローチが「手早く作る」と言う意識なんです。このワークショップならではの、とかく自己の制御してしまう思惑や狙いが自然と手の中へと溶ける手法です。

古本浩 ふるもとひろし

NPWの学校 選任講師

1974年生まれ。広島在住。2003年にセレクトショップfooを広島市内にオープン。2014年8月にfooで開催したワークショップ「NPW365をつくってみる」をきっかけに曽田耕氏よりNPWの学校講師として推薦任命。現在、ワークショップを軸に活動中。




今後のワークショップの開催については、以下のサイトで更新されています。

■NPWの学校

Recommendあなたにおすすめの記事はこちら