032018
Special #25
ボーダーシャツは、想いを乗せる情報媒体
G.F.G.S.代表 小栁雄一郎氏インタビュー
「ボーダーシャツという衣服。その親しみやすさと定番感に甘えて、
今まで本気で探して手にしたことはなかったかもしれない」と、以前ダイヤリーでも触れましたが、
そんな人にこそ、新潟県加茂市発のファクトリーブランドG.F.G.S.のボーダーシャツを手にしてもらいたいです。
ボディのサイズ、着丈、ボーダー幅、カラーの組み合わせまで選べるORDER BORDERを実現させ、
全国各地で注目が集まるG.F.G.S.ですが、今年の2月、新作となるMethenyを東京で展示するということで、
G.F.G.S.代表の小栁雄一郎さんに話を聞きました。
人間には様々な側面があるように、
ブランドにも様々な側面がある
東京は久しぶりですか?
それが不定期ですが、割と来ています。今年に入ってからG.F.G.S.は手紙社さんのイベント<オーダーメイドの日>や合同展示会<ててて見本市>への出展、そしてG.F.G.S. SIDE-Bとしては初めての単独展示会をここ、恵比寿のTRIP ROOM EBISUにてやらせてもらいました。このあとも全国各地での受注会を予定しているのと、東京を拠点とする企業やクリエイターの方とのコラボアイテムの企画が進んでいるので、今年も東京をはじめ、全国各地にお世話になりそうです。
今年は寒波の影響で、新潟も大雪が続きましたね。
雪に馴染みある新潟県民もびっくりの量が降っています。特に加茂市は今もすごくて、家族に今日は帰ってこない方がいいと言われるくらいの豪雪となりました。東京の冬晴れは本当にいい。それは羨ましいところです。
冬の新潟はどんよりとした鉛色の空が続くぶん、春の気配には敏感になります。ところで先ほど、SIDE-Bとしては初めての単独展示会とおっしゃいましたが、SIDE-BとはG.F.G.S.のなかでもどういう位置づけですか?
僕の好きな音楽に例えると、G.F.G.S.はレコードでいうシングルA面だとするなら、SIDE-BはB面のイメージなんです。そもそもG.F.G.S.は、ピュアオーガニックコットン100%の生地のもと、ボディのサイズや着丈、ボーダーの幅、カラーの組み合わせの全てをお客様に選んでいただける、完全受注生産のボーダーシャツを作るファクトリーブランドとして立ち上げました。新潟の、人口3万人に満たない加茂市で日々生産されるボーダーシャツがまるで音楽のように世界中に届けられたらいいなと、そんな願いを込めて作ってきましたが、おかげさまで新潟を始め全国各地に少しずつ知っていただくようになりました。でも人間には様々な側面があるように、ブランドにも様々な側面がある。そのいろんな側面を打ち出していきたいと思って、SIDE-Bが生まれたんです。
SIDE-Bのアイテムとは、具体的にどんなコンセプトで作られていますか?
SIDE-Bのコンセプトに触れる上で、まず、知ってもらえたらと思うこととして、G.F.G.S.が拠点としている加茂市とその近郊の中越地方は、ニットの生産地が多くあって、経験豊富な職人たちが高品質なものづくりを続けているんです。そういう土地柄のなか、僕の父親も50年以上、縫製業を営んでいたんですが、近年の繊維産業は海外製品に押され、以前ほどの活気は見られなくなっていました。つまり、高い技術はあるのに、今の時代の流れのなかで生かせる仕組みがない。
このジレンマのなかで、業界の既存の仕組みを変えながら、新しい価値観を提示できるようなもの作りをしてみたい。自然とそう思うようになって生まれたのがG.F.G.S.なんです。なのでG.F.G.S.と言えば、“加茂市発”、“町内生産”、“手仕事”といった側面が個性として強調されます。もちろんそれはG.F.G.S.の原点なので、これからもそれを当たり前のこととして作り続けていきたいのですが、同時にその側面を切り離した部分で、ものづくりをしてみたらどうだろう?と。つまり、G.F.G.S.では収まらないものづくりがあると。それらをSIDE-Bというコンセプトのもと、打ち出していこうと決めたんです。具体的には僕が影響を受けてきた音楽やアート、デザインからインスピレーションを得たプロダクトがメインになってきます。SIDE-Bは、そのときどきの時代の空気を反映させながら、やっていけたらいいなと思っています。
そんなSIDE-Bの単独展示会として、ここ、TRIP ROOM EBISUでは、新作Methenyと、G.F.G.S.ですでに展開していたdrop shoulderで構成されました。Methenyはどういった背景で作られたんですか?
アメリカ人でPat Methenyというジャズギタリストがいるんですが、僕、彼の大ファンなんです。彼はよくボーダーシャツを着てプレイしているので、Methenyは、そんな彼に着てもらいたくて作ったコレクションです(笑)。
<Metheny>の特徴を教えてください。
これまで通り、ピュアオーガニックコットン100% の原糸にこだわりながらも、作り方が少し違うんです。一番は糸に伸縮素材を入れることで、密度がしっかり詰まっていながらも、ストレッチの効いた着心地になったこと。そしてボーダーの発色が鮮やかなことが特徴です。もともとどうやったらくすまずに、自分が望む色を発色良くボーダーシャツに落とし込めるのかというのは、自分にとって、長年の冒険でもあったのですが、その冒険を編み立て屋さんが細かく実験していただいたおかげでMethenyは生まれました。伸縮素材が入ることによって、非常に発色がよくなることに気づいたんです。という嬉しい実現もあって、今回、Methenyをメインに、SIDE-Bとして単独で展示会をやろうと思ったんです。できたてほやほやです。
カラーバリエーションが豊富ですが、色はすべてオリジナルカラーですよね。
そうなんです。色は既存の染料を使っているわけではなく、G.F.G.S.のオリジナルカラーとして、染め屋さんに相談しながら自分たちで調合して作っています。もうひとつのコレクション、drop shoulderもまた糸の発色にこだわっているうちにこんな編み方がある、こんな作り方があるという発見に繋がっていって生まれました。
代表作を残したい。
「あの人のあの曲ね」と、言われるような名作を。
G.F.G.S.と言えば、ALOYE、グルーヴィジョンズ、PAPER SKY、江口寿史、TOKYO CULTUART by BEAMS、そして最近ではSTEVEN ALAN TOKYOでの受注会など、幅広いジャンルのブランドやクリエイターとのコラボレーションアイテムも展開しています。それらのアイテムもまたSIDE-Bに属しますが、コラボレーションするにあたっての心意気、ぜひ教えてください。
これもまた音楽に例えると、まず、服のボディがコード進行のイメージなんですね。そのコード進行をG.F.G.S.が作ります、と。それ以外の部分、例えば楽器はキーボード入れてみよう、サックスも必要だなとか、曲のアレンジ部分はコラボレーションする方にお任せするスタイルを楽しむようにしています。コラボレーションすることによって、自分たちの世界も広がっていくので、結果的に、それがG.F.G.S.のものづくりに反映される。これからもいろんな方と一緒にものづくりをしていきたいですね。と同時に、「自分たちの世界観はこうです」と言えるお店を持っていないので、来年以降は地元である新潟に直営店を作りたいなと思っています。
どんな世界観をもった直営店をイメージしていますか?
クリエイティブな空間にしたいです。G.F.G.S.のアイテムの販売はもちろん、ギャラリーも併設して、洋服に限らず、自分たちの仕組みをちゃんと伝える情報を始め、音楽やアート、デザインなども発信できたらと思います。新潟はもちろん、東京始め全国各地からのお客様に、わくわくしてもらえるような場を作りたいんです。
小栁さん自身、ものづくりをする上で音楽のマインドがベースにありますし、G.F.G.S.はファッションブランドではなく、文化を発信するファクトリーのような感覚がありますね。
そうだと思います。そもそも自分はスニーカー、Tシャツ、チノパン、デニム、そしてボーダーシャツがあれば十分、という感覚なので、洋服は好きですが、決してデザイナー思考ではありません。そういうなかでG.F.G.S.の活動もまた、アパレルをあまり意識したことがなくて、どちらかと言うとボーダーシャツは情報媒体という意識なんです。
ボーダーシャツは自分たちの想いを伝えるためのツールであり、メディアなんですね。
まさにそうです。僕自身、G.F.G.S.を始めるまでは100年以上歴史ある刃物メーカーで、生花バサミを作る職人をしていたんですよ。それで先ほども言ったように父親が縫製業をやっていたので、ずっと身近でその業界の仕組みを見ていたのですが、その有り様にも疑問があって。実際にリーマンショックによって問屋さんが潰れてしまい、うちも廃業にしようかどうかという岐路にも立たされました。といったことも含めて、加茂で生まれ育ち、一度もこの街を出ずに暮らしてきて、きっといろんな物事や仕組みに対して反発心を抱えていたところがあったんです。兼業農家はOKだけど、兼業縫製業はなぜだめなの?とか。それでG.F.G.S.の初期の頃は人に迷惑をかけることなくできる限りフレキシブルなやり方を実践していきたいと思って、自分がハサミ職人をしながら週末だけ動く形で、父親が裁断して、カミさんが縫製をするスタイルでやっていたんです。それが原点になっているので、法人化した今もなお、自分が抱えていた反発心や疑問を、ボーダーシャツというアイテムに消化しながら、新しい価値観を発信していきたいという意識で活動しているところがあります。
法人化して約2年が経ちますが、今のG.F.G.S.に対する率直な気持ちは?
ボーダーシャツという、作っているものは変わりませんが、いろんな人と出会うなかで考え方ややり方を変えていくうちに、やるべきこととが今明確になりつつある。と同時にずっと反発していたことに対する自分の価値観を提示するような仕組みやアイテムがどんどん固まってきているので、ようやく今、スタートラインに立ったような気持ちでいるんです
スタートラインに立った今、目指す場所はどこでしょう?
世界で通用するメーカーになりたいです。代表作を残したい。「あの人のあの曲ね」と、言われるような名作を。本物とは、守りながらも変化し続ける人だと僕は思うんです。例えば僕の好きなセックスピストルズやYMOなどは、新しい価値観を時代に提示しつつも、その価値観がそのままクラシックにもなるほどの強度がある。G.F.G.S.もまた、そういうメーカーを目指していきたいです。
小栁雄一郎 Oyanagi Yuichiro
新潟県加茂市生まれ。G.F.G.S.代表。2013年、50年以上縫製業を営む家業を継ぐ形で、ファクトリーブランドG.F.G.S.を立ち上げる。完全受注生産で自分好みのボーダーシャツを作ることができるORDER BORDER(オーダーボーダー)を軸に、様々なブランドやクリエイターとのコラボレーションアイテムを展開している。