072018
Special #29
内臓は、知っている。
長田佳子・塩川いづみ・水島七恵によるプロジェクト「腑」の試み。
昨年初夏、私は菓子研究家の長田佳子さんとイラストレーターの塩川いづみさんとランチをした。
たわいもない会話と染み渡るコーヒー。十分な休息を感じながら、話題は北海道・洞爺湖町へと移った。
それから約1年。今年の5月、私たち3人は「腑」というプロジェクトを立ち上げて、洞爺湖町へ向かっていた。
プロフィール
腑 harawata
2018年foodremedies(菓子研究家・長田佳子)、塩川いづみ(イラストレーター)、水島七恵(編集者)が立ち上げた腑は、食べる、描く、編む、をはじめとする人の様々な行為を通して、心と体の同時性を探求していくプロジェクト。同年5月27日(日)、第一回目の企画となる「食とドローイング」を北海道・洞爺村のtoitaウラにて開催。活動の詳細はinstagram(@harawata2018)へ。
腑 vol.01 「食とドローイング」
食:foodremedies(長田佳子)
ドローイング:塩川いづみ
2018年5月27日(日)、会場はtoitaウラにて。
洞爺をテーマにした絵の展示と、この土地に自生する植物を使ったライブドローイング。またひとつの絵の具のパレットを分け合うように、植物や食材、甘みの代わりにスパイスなども使ったお菓子を提供しながら、そして洞爺で採集した植物を布に貼り付けて石で叩く「たたき染め」のワークショップを開催。そしてワークショップ終盤には、ラムヤート店主・今野満寿喜さん、toita店主・高野知子さん、参加者の皆さん、腑メンバーで「洞爺と腑」をテーマにお話会を敢行。たたき染め体験の感想を軸としながら、展示した絵の制作背景、提供したお菓子にまつわるエピソードなど、多岐に渡って対話を重ねた。
はじまりは洞爺村から
昨年の夏、3人で初めて食事をしたときに、佳子さんがイベント参加(「giving flower, summer lake 優しい草花、夏の湖」)のために訪れたという洞爺湖町のお話をしてくれたんです。振り返ってみると、そのときの会話が「腑」が生まれるきっかけになっていますね。
いづみさんと七恵さんに洞爺村の景色をまず見て欲しい。その想いが一番にあって、お話していましたね。
北海道と言えば、道東の根室市にここ数年、定期的に通っていることもあってすごくご縁を感じている土地でした。だから佳子さんから洞爺湖町の話を伺って、私のなかで新しい北海道の入口が増えると思ってぜひ行ってみたいと思いました。またその想いとは別軸で、私は佳子さんといづみちゃんによる創作上のコラボレーションをみたいと思っていたんです。ふたりは一度、雑誌のお仕事を一緒にされていたけれど、その続きというか、新たな形で見てみたい。そんな想いをそっと心に抱えていたので、佳子さんから「洞爺湖町で何かできないか」と提案があってワクワクしました。
もともといづみさんの描く絵が好きだったので、雑誌でのお仕事が叶ったときは本当に嬉しかったけど、やはりそこはお仕事なので、私は編集部の企画に合わせてお菓子を作る、いづみさんはその企画に乗せて絵を描くといった、分業制のような形で進行したところがあったんです。そういうなかでもっと違う次元で生身の人間として一体になれるようなもの作りをご一緒してみたい。そんな想いがふつふつと湧いていました。そしてその想いは、洞爺湖町であれば叶うかもしれないなって感じて、提案してみたんだと思います。
佳子さんとはその雑誌のお仕事で初めてお会いしたんですが、私もとても楽しんでやらせていただきました。レシピに合わせて私は絵を描いたのですが、どれも本当にうつくしいお菓子で。それでいてレシピはシンプルで普段お菓子を作らない私も作ってみようと思うものばかりだったんです。これをきっかけに、佳子さんが作るお菓子の世界をもっと知りたいと思っていたので、「洞爺湖町がいい」という強い想いを受け取って、行ってみたいとすぐに思いました。それに私も七恵ちゃんと同じく北海道と言えば根室市にご縁があってよく足を運んでいたので、この機会にまた違った角度から北海道を知る良い機会になるなって。
それで実際に洞爺湖町に行ってみよう!ということで、昨年9月、スケジュールがちょうど調整できた佳子さんと私が洞爺湖町に行きましたね。向こうではかこさんがイベントでお世話になったラムヤートの店主・今野満寿喜さんの自宅に宿泊させていただきながら、toitaの店主・高野知子さんに色々と洞爺湖町を案内いただいて。
洞爺湖でカヌー乗ったり、裏山できのこを採集したり、温泉入って、ラムヤートのパンをみんなで食べたり、焚き火をしたり……。楽しかったですね。
本当に。実際行ってみてまず洞爺湖が見えてきたときは、なんだかすごく安心したのを憶えています。優しく包み込むようなあたたかさが、洞爺湖にはあったから。と同時に満寿喜さんご一家や知子さん、また洞爺湖町の人たちにお会いしたときはちょっとどきどきしました。うまく言えないんですが、初対面の場合、最初は「はじめまして」「今日から数日間お世話になります」といった具合に挨拶から入るじゃないですか。でもここではその定番の形や間合いが通用しないような、空気が流れていたんです。というのも、ラムヤートの扉を開けたその先には、3匹の猫と子供達の日常、そしてラムヤートを囲む地元の人々の日常全てが、ありのままに繰り広げられていたから。その営みを前にして、どこか装っている自分がだいぶ異物に思えてきて、あたふたしているうちに自分の背中を勢いよくドンッと押されて、その日常の中へ素っ裸で潜り込んでいくような感覚がありました。なにせ素っ裸状態だからすごく心もとないんだけど(笑)、でも潜ってみるとすごく心地よくて……。
イベントで初めて洞爺湖町に訪れたときに「暮らすように楽しんでください」と満寿喜さんから言われて、私はその言葉がとても印象に残っています。東京にいると人との距離感をうまく図ろうとするし、なるべくお互いに傷つかないように接していこうとか、そういう意識を持って暮らしがちですが、洞爺湖町に滞在しているとその意識が消えていき、ごく自然なキャッチボールがいつの間にかできるようなところがありますよね。
その感覚はすごくわかります。そのとき私は残念ながら伺えなかったけれど、ふたりに色々とお話を聞きながら、洞爺湖町へ想いを膨らませていきました。
「食とドローイング」に乗せて
洞爺湖町に行ってみて、私は改めてこの土地に反応したかこさんといづみちゃんの創作の形を見てみたいと思いました。知子さんも期待してくださっていましたよね。それで本格的に何ができるのか、3人で話し合いました。お菓子と絵を通して見えてくる景色とは何か。ざっくばらんに話すなかで、お菓子を食べて美味しいと感じる心も、絵を見て何か受け取る心も、そのときの一致しているのは「腑に落ちているなあ」と思っていたら、「腑」というキーワードが3人同時に引っかかって。
うん、身体の外と内が繋がる感覚ね。
ちなみに私自身は「腑」というキーワードが出てきたときに、自分のなかのどろっとした部分も出せるかもしれないなって、そういう予感もしました。
そうそう、七恵ちゃんは以前から「佳子さんといづみちゃんにはパンク精神を感じる」って言っていたけれど、どろっとしたところもパンク……?
私のなかでは確かにふたりの表現を見ていると、その本質は同じところがあるような気がしていて、それを言葉にすると「パンク精神」になってしまった(笑)。
(笑)。いづみさんの絵には、可愛らしくうつくしい世界と同時に毒のある世界があると思っているんですが、私自身が作るお菓子にも毒というか、ちょっときれいではない部分があって、きっと七恵さんはそこを感じ取ってくれて、3人がこうして引き合わさったのかなとも思いました。
そうかもしれない。でもこの「腑」という概念を3人で共有したとき、本当に世界がすごく広がったように感じたし、同時にこれは一度切りで終わらせるのではなく、洞爺湖町を始まりの地として、そこから「腑」の活動を育てていきたいと思いましたよね。
クルマバソウ、クローバー、ノコギリソウ、ヨモギ、たんぽぽ、ヒトリシズカなど、「たたき染め」のワークショップで使用した植物は朝に会場近くの道端で採集。そのほかにビーツなどの野菜も。
うん、そしてこの3人が起こすことが「腑」なのではなく、その場で起きる現象そのものが「腑」になっていけばいいなってという話もして。だから場づくりも、テーマに応じていろんな分野で活動している人たちと一緒に腑を作り上げていきたいと。
そうやって可能性を3人で深めながら、「腑」の初めての試みとなるテーマを「食とドローイング」としました。ここから知子さんにも伴走いただいて。特にドローイングと「たたき染め」ワークショップに用いる染料は、洞爺湖町に自生する植物を使って行おうと決めて、いづみちゃんと知子さんが中心となっていろんな植物で実験していました。いづみちゃんはそれまでも天然染料を使ったドローイング経験をしていたのと、何より植物への探究心と愛情が深い人だから、実験を自然体で楽しんでいましたね。
植物は私にいつもいろんな気づきを与えてくれます。例えば普段、絵を描くときに使う絵の具や色鉛筆というのは、この色が必ず出せるという前提があって使います。そこにはなんの疑いもなく。でも植物が内包している色を染料としてもらうときというのは、絵の具と違って意図した色が出ないことの方が多いんです。見た目は真っ赤なのに、色にすると茶色が出てくるとか、見事に裏切られてしまう。でもその裏切りは発見なんですよね。だからどきっとするし、そんな経験が身近にできることが本当におもしろい。染め終わった後も、洗濯したり、日干しすると色が変化していく染料もあるし、その一連の流れを見つめていくと、そもそも色って一体どこから来て、どこに行くんだろうと不思議に思います。
そのいづみちゃんが得た発見を、イベント本番では参加してくださった皆さんも、それぞれ素直に吸収していたように思いました。そこに説明は不要で、植物に触れ、手を動かすことで自然と身についているようにも感じて。何より皆さんの笑顔が見れて嬉しかったです。
本当に皆さん自由に楽しんでくださっていたと思います。
完璧を目指せない悔しさとその正しさと
一方の佳子さんは、植物含めて材料を洞爺湖町で調達してお菓子を作ってワークショップ中に皆さんに提供するという試みをしました。それは普段のお菓子づくりの向き合い方とは違っていたんじゃないかと思います。
まず料理はそのときの感覚で味の調整をできる余白があるけれど、お菓子は緻密に計量することでしか磨き上げられない完成度というものがあるんです。その上で今回、腑では事前に計算や計画をしないということが前提にあったから、すでにその時点で私にとっては大きなチャレンジだと感じました。だからイベント本番に向けて札幌でいづみさんと七恵さんと合流するまでは、 先入観や経験をできるだけ捨てて新しいことを吸入できるよう、あえてお菓子のことは考えないようにしていたんです。
イベント当日まで3日間の現地での準備期間があって。初日に新千歳空港から札幌に到着して、洞爺村に向かう前に、3人で北海道大学植物園を見学しました。ここからイベント本番に向けての「腑」フィールドワークは始まっていましたね。
この植物園で北方民族であるアイヌの人たちが実際の生活に利用したという約200種の植物の植栽展示を見ているうちに好奇心がどんどん湧いてきて、そこから私自身の「腑」の幕が本格的にあがったような感覚がありました。
事前にレシピを考えずにその場にある材料、自生した植物でお菓子を作る。それは私たちが想像する以上に大変なことだと思うし、それを超えてごく当たり前のように美味しいお菓子を作れるのは、佳子さんだからこそだと思いました。
「食とドローイング」で提供したお菓子のメニューは、ビーツのバタークリームサンド、そばとビーツのおせんべい、ルバーブのガレッドとマフィン、セオリナ粉とクルマバソウのハロワ、じゃがいもとコリアンダーのパンケーキの全6種類。ドリンクはクルマバソウとスパイスをブレンドしたお茶をお出しした。
いえいえ、反省はいっぱいあります。きちんと計量されて、完璧に極力近づけたお菓子をお出しできていないなっていう悔しさと知恵の足りなさも痛感しますよね。だけど洞爺湖町という土地の声を聞きながら、柔軟に作る。それは洞爺村の空気感、それは季節感だったり、匂いであったり、色であったり。そういうものをその瞬間にお菓子に織り交ぜていく楽しさを感じていたので、その楽しさを少しでも共有することができたらいいなという思いで作っていました。
でもその佳子さんが感じた完璧に近づけない状態、それは言い換えると道を選ぶ前の少しもやもやした状態みたいなものこそ、本当はすごく価値があるし面白いと思うし、そういう状態に自分も戻っていけたらいいなってよく思います。というのも、私も仕事として絵を描いている以上、失敗はできないし、完璧に描かなくてはいけなくて、それは日々「自分にこれはできて、これはできない」という選択しているということなんです。でも本当は絵を描こうと思った純粋な動機というのは、道を選択する前のもやもや状態にこそあったりするものなんじゃないかなって。だから、私も「腑」ではそういう状態を大切にしたいと思っていました。
「腑」とは、本気の道草のようなもの
まさにその完璧をコントロールしない、できない状態のなかでひとつひとつ楽しみながら対応、表現していく佳子さん、いづみちゃん現場力に私はずっとしびれていました。そもそも命も人も社会も、コントロールできないもののはずで。でもテクノロジーの発達によってある側面ではコントロールできるようになっていて、私自身、その恩恵を受けています。例えば仕事をする上でパソコンは手放せないし、そのパソコンによって仕事や日常生活をコントロールしているから。という前提があった上で、ふたりの現場力にしびれたと言うのは、ふたりとも生身の人間としての生命感が強いというか、お菓子を作る、絵を描くという、素手で何かを成し遂げられる力を持っているということ。その力を前にして、私自身は圧倒的に素手の力が足りないような気がして……、何かによってコントロールされないと何もできないのかなって落ち込んだんです。素手では役に立てないと。
七恵ちゃんの言う素手の力というものはわかるような気がします。確かにかこさんは今、目の前で刻々と変化していく食材の瞬間を逃さず捉えながら、自分の技術をその場で使い切るお仕事だから。でも七恵ちゃんの仕事はそこに「時差」があるだけとも思います。目の前で起きたことをそのまま形にするのではなくて、起きたことを翻訳する、さらに精度をあげて世の中に出すような仕事であり、技術だから。
なるほど、目から鱗……。でもそういう意味ではいづみちゃん自身はその中間に立っているような気がします。生な部分と時差=録画の部分、両方あるから。
そうそう。絵を描く行為がそもそも生で、さらにそれを人に見せるライブドローイングという手段がある一方で、描いた絵を印刷というフィルターを通して時差で届けることもある。でも基本的にはいつも一人で絵を描いているから、どうしても頭でっかちになっていて、七恵ちゃんの言う素手で描くという行為の純粋性みたいなものから離れがちになってしまうことがあるんです。だからこそ、この「腑」を通じて本来の姿を手繰り寄せてひらいてみたい気持ちでいたんです。
「腑」を通じて一人一人がその瞬間にささやかに目覚めるような場になればいいなってすごく思います。誰もがこの世界に等しく産まれた。その根源的なことを感じられる素朴で情熱的な時間が、腑そのものになるように。
アートの語源はラテン語の「ars」で、それは術、才能などを指しているんだけど、遥か昔の私たちの祖先にとって、その「術」とはきっと、かこさんの今言ったような、素朴だけれど情熱的なものだったんじゃないかなって。決して特別で崇高なものではなく。「腑」を通じて、そんな小さな「術」を見つけたり、磨いたりできたらいいなって思います。
お菓子と絵って命に直接関わるものではないから、絶対的に必要なものではないし、実際に必要がないっていう人もいます。でも一方で、それが自分を支える大切なものになることもあって、私自身はそうやって小さい頃は絵を描くことで支えられました。きっと私にとって絵を描く行為は本気の道草のようなものだったと思う。そこには何かわからないけど、面白そうな種がたくさん落ちていて、それが生きる栄養にもなっていくと信じているから、「腑」はそんな本気の道草を探求する場所でもあったらいいなって。
うん。そういうなかで「食とドローイング」という本気の道草は、植物に触れ、その色をもらいながら、同時に身体の中にその色を取り入れることで、自分の中で1本繋がった感触があった。
そんな「腑」の活動のはじまりが洞爺湖町であったことは、本当に幸せなことだったなって思います。洞爺湖町であるからこそ、チャレンジができたような気がしていて。同時に宿題もたくさん抱えたような気がするけれど(笑)、今後の自分たちの変化というか成長を知るために、戻れる場所であれたなら幸せだなって思います。
洞爺湖を望みながら、あちこち巡るうちにだんだんと心と身体が緩んでいくのを感じました。
自分はどう生きていきたいか。何を喜びとするか。洞爺湖町はちゃんと自分の中にある野生に従いながら、自分の身体を使って体験しないとわからないっていうことを教えてくれた場所でもあります。
頭で考える前に、内臓の方がすべてを知っているかもしれないね。
素直に、そこにあるものへ心を開きながら、柔軟に。私たち自身、冒険していくような気持ちで「腑」に取り組んでいけたらいいですね。
長田佳子 Osada Kako
菓子研究家・foodremedies主宰 / 三重県生まれ。老舗フランス料理店などで修業ののち、アパレルブランド 「YAECA」のフード部門「PLAIN BAKERY」での開発・製造を担当。2015年に独立し、現在はハーブやスパイスなどを使いながら、人を癒せるような滋味あふれるお菓子を、日々探求している。
塩川いづみ Shiokawa Izumi
イラストレーター / 長野県生まれ。東京在住。多摩美術大学グラフィックデザイン科卒。 広告、雑誌、商品などで活動するほか、展示会で作品の発表もしている。近年の仕事にCLASKA shop&gallery“DO”のオリジナル商品「SWAY」「MAMBO」、一保堂茶舗の商品イラストレーション、きもの やまと「DOUBLEMAISON」のメインビジュアルなど。